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情は法に従えるか?

01

(水)

07月

エッセイ

平成21年5月21日から裁判員制度が始まった。
新たな法制度の開始にあたって、これまでになく巷で様々な意見が飛び交っているような気がする。やはり、自分の身にその役割がおよぶ可能性があるからであろう。
私はこの制度の話題を耳にするにつけ、ずい分昔の些細な出来事を思い出してしまう。

それは、私がまだ30代半ば頃、私の掛り付け、というよりお馴染みのアルコール依存症の患者さんがらみのことである。彼は入院して素面になると退院、また飲んで入院と、入退院を繰り返していた。ある朝(取る詰)、警察署の防犯(現生活安全)課の課長から病院に電話があった。そのアルコール依存症の彼が、昨晩、泥酔、あるいは酩酊で警察に保護されているとのことであった。この泥酔、酩酊保護は、「警察官職務執行法」第三条、ないしは「酒に酔って公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律」の第三条による警察官の職務権限に基づくものである(実はSMAPの草なぎ君も、逮捕でなくこの保護の対象であったはずだ)。そして、その保護留置は、酔いの醒めるまで24時間を限度としたものである。
そこで、その課長、アルコール依存症の彼の家族に泣きつかれたのであろう。課長曰く「私どもの拘留期間は後1時間です。だが、ご家族が今拘留を解かれると、また酒を飲んで同じことを繰り返すので困るから何とかして欲しいといっておられる。何とか、おたくの病院にこのまま入院させていただけないか」といった内容のものであった。

精神科病院は、「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」(以下:精神保健福祉法)によって、措置入院、医療保護入院といった本人の同意を得なくとも強制的に入院させることのできる入院の形態がある。その対象となる者は精神病症状を有するもので、アルコール依存症者の場合は、アルコールの離脱、つまりその酔いの醒める段階で俗にいう禁断症状、いわゆる精神病症状が出現した場合である。よって、普通に酩酊、さらに泥酔し、そして、その後酔いの醒めた状態で精神病症状を認めない(素面に戻った)者は該当しない。
そこで私はその課長にそのアルコール依存症である彼の状態を尋ねてみた。課長の語るところによると、酔いも醒め、しっかりしており、意識障害なく、そして、入院は希望していないとのことであった。それでは、医療保護入院等の強制入院の要件を満たしていない旨回答した。
しかし、課長は「家族が困っておられる。何とかなりませんかね」と入院処遇を執拗に要請してきた。そこで私は「分かりました」と返答し、「ただ、警察の拘留を一時間延ばして、25時間にして下さい」とお願いをした。ところが課長は「それは困ります。我々は法を順守する立場です。それはできません」と異を唱えてきた。そこでは私は「一寸待って下さい。私は、精神保健福祉法のもとで本来強制的に入院のできない対象者の入院をそちらの要請で行おうとしているんですよ。つまり、脱法、いや違法行為を行うんです。なのにそちらは法を順守するとおっしゃるんですね。それでもいいのですか」と返答した。電話の向こうの課長、しばらく沈黙、「・・・・・分かりました」と、そこでそのやり取りは終わった。

多分この防犯課長は日頃、職務に忠実で、人間味もあり、住民の声に真摯に耳を傾けておられる模範的な警察官であることは、その短時間の電話のやり取りで容易に推察することができた。そしてまた、そのアルコール依存症者のご家族からすれば、その課長は人情味のあるいい警察官で、私は情け知らずの冷酷な精神科医であったに違いない。
だが、ここで考えていただきたい。諸々の法を専守し、国民の安心と安全を守る職業の最たるものの一つが警察官である。そのような職業人である警察官ですら、このように些細なこととはいえ、法を順守する前に情に流されることもあるのだ。私はそれを責めているわけではない。
ただ、今回開始された裁判員制度で選ばれる裁判員は専門家ではない。この制度を推し進める方々は、そんな専門家でない市民の日常的な生活観(市民感情)をうまく法曹界に反映させたいのだろう。だが、先の私が過去に直面した出来事、専門の職業人ですら時に存在する情と法の狭間で揺れ動く心、そのようなことを裁判員に選ばれた方ならたびたび体験するのではないかと危ぶむのは、私の考え過ぎだろうか。

まぁ~私は精神科医といった職業柄、司法精神鑑定に関与するかもしれない立場として裁判員に選ばれることはないだろうが...。

長崎地方裁判所は、幕末に勝海舟、坂本竜馬と縁故の長崎の商人、旧小曾根邸の敷地跡にある。