1. ホーム
  2. Ken’s Lounge
  3. エッセイ
  4. 誰が、何を、どの様に

誰が、何を、どの様に

20

(日)

09月

エッセイ

またまた法務局人権擁護課である。
当院はストレス・ケア病棟を設けている。そこへの入院は、アルコール依存症をはじめとする依存性疾患、うつ病、不安、あるいはパニック障害に悩む方々を対象としている。全国の精神科病院では、近年のストレス関連疾患の増加から、ストレス・ケア病棟を設ける病院が増えてきている。だが、ある関係者の語るところによると、うつ病、不安障害等の疾患を治療対象にしており、同時にアルコール依存症等の依存性疾患も一緒に入院処遇し、それぞれの治療プログラムを一病棟で準備・運営しているのは、全国で当院だけだそうである。
当然、精神科病院には、入院の形態として、その病状から本人の同意能力がない場合、家族同意、そして、専門医(精神保健指定医)の判断による強制力を伴う入院がある。しかし、このストレス・ケア病棟では、患者本人の意志を確認した上で、治療者(主治医)との契約で入院している方がほとんどである。ただ、その一方で、依存と自立の問題を抱えた患者さんが多く、就労の焦りから早期の退院を求めたり、逆に、社会生活への自信のなさから退院延期を求め、依存的になったりと、強制力を持った入院形態で入院処遇している病棟とは違った気遣いが医療者側に求められる病棟である。
そんな病棟で、最近、やや依存的になった患者さんが担当医に入院期間の延期を求めてきた。担当医はその患者さんに今後の自立した生活設計を立てるためには、退院して外来通院の中で行うべき、と判断、退院の延期を認めなかった。その判断、処遇を不服としたその患者さんは、法務局の人権擁護課に処遇改善を求めて電話をした。ところがそこで、人権擁護課の対応した職員から「院長に相談するように...」との指導があったそうである。
実は、過去の精神科病院における入院処遇は、その多くが入院については家族、地域の要請を受け、院長、あるいは他の勤務医師、場合には警察官等の判断で強制的な入院がなされていた。しかしながら、退院となると、院長、即ち理事長(経営者)の判断で行われることがほとんどであった。つまり、一病床埋めるごとに病院収入が増える、即ち経営的に潤う、といったことで、治療より経営優先の病院運営がまかり通っていた時代があったのだ。だが、その院長の判断で入退院を決めることで、それが全てとはいわないまでも、精神科病院収容主義といった人権上の問題が発生するに至ったのである。
そういった問題の解決を図るべく1987年の法改正で「通信の制限の禁止」、そしてその通信を通しての「入院処遇の改善請求等」の権利が入院患者に保障されるようになったのである。
その件に関する法務局、人権擁護委員会のその後のスタンスについては、前回のブログで触れている。精神障害者等のこういった請求は、精神保健の専門公的機関に委ねることになったはずではなかったか。当院から電話をした入院患者さんにも何故それを伝えないで「院長に相談を...」。それは昔に戻りなさい、といっているようなものである。「誰が、何を、どの様に」がお分かりになっていない法務局人権擁護課である。困ったものだ。法治国家日本ではなく、放置国家日本ではないか。

酒井法子、のりピーのこと、あまり語りたくない。メディアのあの報道の過熱ぶり、確かにこの事件を契機に依存薬物問題での回復施設(ダルク)を取り上げてはくれるようになったのはよかったと思っている。だが、何か不快で、不全感がつきまとっている。
それは、のりピー君の今後については、保釈の時期、公判の日時については、もういいよ、というくらい伝えるが、あれだけ過熱しているわりには、依存薬物を使用した病者としての彼女の治療、回復のあり方について、メディアの報道からは、ほとんど伝わってこない。本当はそこが一番肝心なことなんだが...。
しかも、記者会見では悔い改めてもう覚せい剤は使いません的な謝罪、弁明に終始している姿が延々とどのチャンネルを選んでも流されている。それに私が驚いたのは、この事件に関連して地元新聞に長崎ダルクの施設長が答えている記事の中で、裁判の時「覚せい剤を今後使用しません」というと、罪が軽くなるとのことである。
それは違いますよ。
「もう止めます」と言う、アルコールを含めた依存薬物に侵されている患者さんに対して、私は『また飲む(使う)な』と、ほぼ確信して経過をみる様にしている。何故なら、多分に、そんな患者さんは、依存が形成されたらそんなに簡単に止められるものではない、ということが分かっていないから、「止めます」なんて軽々しくいえるのである。
私はむしろ、前と同じような環境下に戻り、今まで通りのストレス対処法しかできないが、アルコール、ないしは薬物を飲まない(使わない)で本当に大丈夫でしょうか、とその不安を問いかける患者さんこそ、脈ありとみて、外来通院、自助グループ等の社会資源の活用を働きかける様にしている。これを私は「健康な不安」と勝手にいっている。
また、記者会見で、CD等ののりピー商品の販売中止、回収を同席した関係者が語っていたが、私はその必要はないと思う。但し、今後はその収益を現在運営が青色吐息の全国の回復施設(ダルク)に寄付をすること。そして、新たな政府は、それを非課税とすること。また、これを機に厚生労働省と警察庁の所管法人麻薬・覚せい剤乱用防止センターのあり方をしっかりと見直すことを行うべきである。メディアがあれだけ、新たな組閣と同等に、いやそれ以上に取り上げたのりピー君事件なんだから...、そこは臨機応変に今までの政府との違いをみせて「誰が、何を、どの様に」と、お願いしたいものである。
補足になるが、チャリティー活動、ボランティア運動が定着している欧米なら、CD等ののりピー商品を店頭から回収なんかしないで、販売を続け、その収益を回復施設に寄付する行為、あるいは、変に「反省しました。止めます」と語るより、回復施設に足を向けるといった実のある行動を取ることが、公判には有利になるはずである。しかし、日本ではそうはいかない。裁判員制度なんかより、司法はそういったことをもっと検証すべきではないだろうか。これも「誰が、何を、どの様に」である。

昨年11月、あの長崎県佐世保市でおきたスポーツジムでの銃乱射事件から一年を受けて、警察・司法を中心に銃許可保持者は精神科医の診断書が必要になることに関するコメントを、私は地元テレビ局から求められた。その時取材にあたった記者の情報によると、銃許可保持者の80数%がすでに診断書を手に入れているとのことである。
まぁ、日本で銃を保持し、余暇に狩猟を楽しんでいる方々は基本的に遊び心をお持ちで、心のバランスが取れた方であろう。さして抵抗なく精神科医に診断書を書いてもらったのも分かる。ただ、ずい分以前に自動車免許交付にあたって精神科医の診断書が必要とかで、免許交付所前に精神科診療所が開業され、大儲けしたなんて笑い話にもならないようなことがあったことを記憶している。この件については、今年6月に民間精神科病院で組織する日本精神科病院協会は、その要請には十分に慎重な対応をするようにとの見解をだしている。賢明なことである。精神科医は預言者ではないのだから...。
それより、私はその記者に対して、銃所持を必要とする職業人のメンタルヘルス対策の重要性を取り上げるべきではと、提案をしてみた。我々の生命・財産を守ってくれる警察官、海上保安官、自衛隊員といった銃所持を必要とする方々は、使命感、正義感、規律を守る真面目さ、といった姿勢を求められ、職場でも勤務時間が不規則で、過酷でストレスフルな環境に身を置いているといっていい。そんな内容の職務に誠実に専念する人ほど、うつ病、依存性疾患に罹りやすいのである。
だが、その提案は取り上げてもらえなかった。ところが、その数日後の朝日新聞に「警察官の拳銃自殺多発・・・警察庁、予防通達」との記事が掲載されていた。そしてまた、今度はこの9月に、福岡県警は、警察官による飲酒運転事故を受けて、アルコール依存症の疑いがあれば、専門医療機関への受診命令、従わなければ懲戒処分、との対策を打ち出した。
私は精神科医である。やはり精神科医は預言者かなぁ?(笑)
ただ、この福岡県警の対策は法的に些か無理があるような気がするのだが...。それに加えて、受診命令といっても、アルコール依存症等の依存性疾患をしっかりと回復、援助できる精神科医療従事者がどれだけいることやら...

これもまた、「誰が、何を、どの様に」と考えさせられる。
このテーマ、次回にもう少し詳しく続けてみることにする。