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エッセイ

日本の風土の中で育まれてきた私たち日本人特有の精神的な物事の捉え方・考え方、私は好きである。しかし、一つだけ気になるのが、今回のタイトル「自分の弱さを弱さとして認める勇気」という捉え方・考え方を私たち日本人が持ち合わせているかである。

中川昭一元財務・金融大臣が亡くなった。非常に有能な方であったらしい。しかし、しばしばアルコール問題が指摘され、中でも2009年2月のローマで開催されたG7でのもうろう記者会見は記憶に新しい。彼が死亡した翌日の新聞報道によると『...酒席では「まずはウーロン茶から」で始まり「では一杯だけ」となると、すぐにブレーキが利かなくなり「これで最後」と繰り返しながら杯を重ね酩酊状態に陥ることがしばしばだった...』と。これはアルコール依存症の最も代表的な症状である飲酒抑制不能の状態を具体的に現わしている。
何故、この報道をローマの記者会見の後に行わなかったのか! 
そして、その一方で、彼が繊細で几帳面な性格であったとも書かれてあった。「気配り、几帳面、繊細さ」、これらは執着性気質(性格)と呼ばれ、うつ病親和性(うつ病、気分障害に罹りやすい)の性格特徴である。確か、父の中川一郎氏も1983年に自殺して亡くなっておられる。この一郎氏は、その前年に自民党総裁選に出馬され、惨敗された。その時の選挙戦の様子をTV報道等で見ていて、精神科医10年目の私でも些か気分が高揚、軽躁状態ではと、診て取ることができた。その分、その後の落ち込み、抑うつ状態は深刻だったのではなかろうか。

父、一郎氏もそうであった様に、昭一氏も「気配り、几帳面、繊細さ」の気質(執着性気質)を受け継いでいたのだろう。そして、彼は心が悲鳴を上げる(うつ状態に陥る)のを避けるため、無意識のうちに飲酒して酩酊、そしてそれにより心を癒すことを選択されたのだろう。
このようなうつ状態と依存症との関係性は、私たち精神科に受診される患者さんではよくみられることである。よって、西脇病院のストレスケア病棟は、うつ病圏とアルコール依存症等の嗜癖関連疾患の患者さんを対象とした治療プログラムを主に組み立てている。

ところで、その「執着性気質」であるが、一言でいえば勤勉な人である。私もこれまで色々な形で地域貢献されてこられた方々を〝うつ病‟、あるいは〝アルコール依存症"と診断し、治療させていただいた。中川親子も勤勉に、かつ誠実に政治に取り組んでおられたのであろう。だが、ご本人、そして周囲の人たちも、その一方で心を蝕む病に陥る恐れがあることに気づいておられなかった様である。

ここなんだなぁ~「自分の弱さを弱さとして認める勇気」を持つことをよしとしない日本の精神風土。欧米では政治家、一流企業のトップは、かかりつけの精神科医を持っている、と聞く。現にアメリカの前大統領ジョージ・ブッシュは、自らを〝アルコール依存症"と告白しながらも、2期8年間、その大統領職を務めあげた。そしてまた、かのウィンストン・チャーチルは、自身の〝躁うつ病"のことを「私の中の黒い犬」と呼び、その病を認めつつ、第二次大戦中、戦後にかけてイギリスの首相を務めただけでなく、国際政治の歴史に名を残した。
どうも欧米人、とくにアングロサクソンの諸君は「自分の弱さを弱さとして認める勇気」を持つ精神がおありの様である。だが、私たち日本人は精神を鍛錬して、強靭な精神力を持つことに関心の重きを置いている様に思えて仕方がない。
その象徴が、以前のブログでも紹介した昔どこの小学校にもあった二宮金次郎の銅像である。まさしく、読書をしながら薪を運ぶ姿は、勤勉と鍛錬の象徴だ。だが、その彼が、40才代に入って〝うつ病"に悩まされたことはほとんど知らされていない。遺憾ながら、国民にそんな強靭な精神力が備わっていると過信し、物量に勝る国に戦を挑み、国土を荒廃させた歴史を持ち、だが一方で、その粘り強い精神力と勤勉さでこの半世紀の間に奇跡の経済復興と成長を遂げた歴史を持つのも我が国、日本である。

しかし、ここ10年ほど前から、先が見えないといわれだした日本、そんな中で、心の病、精神科疾患については、色んな角度から取り上げられる機会が増えてきた。そして、そんな機会には、必ずといっていいほど、それらに対する偏見の問題が話題になる。それはそれで確かに大事なことである。ただ、それに加えて、私たちの心の中に「自分の弱さを弱さとして認める勇気」が育まれているのか否かを検証することも必要ではないだろうか。そして、それは心の病の問題に留まらず、グローバル化している国際社会において日本人として生きる、生き方のテーマの一つとして考えてみるのも面白いのではないかと思うのだが、如何なものだろうか。