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  4. それは「長崎ちゃんぽん」から始まった

エッセイ

もう10年も経ったんだね。
10年前、1本の電話がかかってきた。
「ダルクの中川と言います。一度、会っていただけませんか」と。
ダルクと言えば、薬物依存症者の回復施設である。ただ、まだ、長崎にはその施設はなかった。当時、私はアルコール依存症の治療に携わって20数年経っていたが、にも関わらず、同じ依存の問題を抱える薬物依存症についてはかなりの抵抗を感じていた。非合法薬物、犯罪者といった捉え方をしていたのである。しかし、その電話に出た時、きっと私は機嫌が良かったのだろう。
「今度の月曜日、お昼にうちの診療所の前の眼鏡橋で待ち合わせようか」と快諾したのである。
そして、その日、眼鏡橋の上に数名の若者が待っていた。その一人が電話をくれた中川君だった。お昼時である。眼鏡橋のもう一つ下手の石橋(袋橋)のたもとに小じんまりとした中華料理屋があり、そこの「ちゃんぽん」は鳥ガラ出汁で、美味しく、私のお気に入りであった。(最近は旅行雑誌にも紹介され、観光シーズンには行列ができている。)そこで私は彼らに「ちゃんぽん」をご馳走した。そして、その際、長崎にダルクを開設するにあたっての協力を要請され、引き受けてしまった。
私は彼らにご馳走したのである。ご馳走してもらって引き受けたのではないのだ。後年、ここがダルクの強かなところだと知ることになるのだが...。その時私は知る由もなかった。

だが、彼らはそれから、この10年間よくやってくれた。まず、準備室の開設から、長崎ダルク相談室へ、さらに通所型の長崎ダルクへと発展させ、ついにこの秋、長崎ダルクはグループホームをオープンすることになった。そんな彼らの取り組みを眺めていて何時の間にか私の薬物依存症に対する抵抗は薄れていた。ただ、常に資金難に悩まされ続けている彼らに、私もそんなに理解が深まったのなら、美味しい外食・娯楽を少し控えて、その時使うお金をダルクの献金に回せばいいのに、これがなかなかできないのである。情けない。
でも、グルメ志向で遊び好きのヤブ医者に協力を求めたのは彼らである。きっと大変な奴に頼んでしまった、と後悔していると思うが、頼りにならない精神科医を選んだのがよかったのかもしれない。協力をお願いした精神科医があてにならないなら、自分たちがしっかりしないといけないからだ。つまり依存から自立である。

そんな長崎ダルクが、平成21年11月28日に長崎ダルク9周年記念フォーラムを開いた。基調講演は、米国の薬物専門裁判所(ドラッグコート)の制度に詳しい龍谷大法科大学院の教授で、かつ弁護士でもある石塚伸一氏の「日本版ドラッグコートの提案―新たな改革の可能性を探るー」であった。
その中で、石塚氏は、戦後の覚醒剤を中心とした薬物汚染の経緯を資料に基づき紹介された上で、今後の薬物問題対策のあり方【日本版ドラッグコート(薬物関連の事件で逮捕された薬物依存症者に治療を提供し、社会復帰を促す裁判制度)】の導入を指摘された。提示された情報、データーもしっかりしたもので、話も説得力があり、日ごろ私も考えていたことでもあったし、納得の内容であった。
さて次に準備されたパネル・ディスカッションである。ポスターには、私の名前もパネリストになっていた。フォーラム開催の数日前、長崎ダルクの中川施設長が私の病院を訪れ、
「先生、パネル・ディスカッションの司会をお願いしますね」と。
こんなダルクの段取りの悪さと、いい加減さが、嫌いなところで、逆にホッとさせられる。それがダルクの不思議なところである。ただ、そんな流れで依頼された司会とパネリストだから気が楽だ。パネラーは、講演をいただいた石塚伸一氏、日本ダルク代表近藤恒夫氏、ダルク女性ハウス代表神岡陽江女史、そして司会の私であった。
さて司会者として、どう始めるかである。数日前、長崎ダルクの施設長である中川君が、うちのミーティングで、
「自分は50%おバカさんだ。でも、もっとおバカさんがいる。日本ダルク代表の近藤恒夫は80%おバカさんだ。そんな凄いおバカさんだから、彼はシャブ中だったのに20数年で日本全国にダルクを開設し、今やアジアに進出している...」って語っていたのを思い出した。
その近藤氏当人が今日のパネリストのお一人である。
そこで、このおバカさんの話から始めることにした。そう、まず私は司会者として、
「長崎ダルクの施設長が50%おバカさんで、今日のパネリストの一人の日本ダルク代表近藤さんは80%おバカさんだそうです」と語り始め、このパネル・ディスカッションの幕を切った。
そして、近藤氏がどのくらいおバカさんかを調べようと、彼が参考人として出席した平成14年の衆議院の青少年問題に関する委員会録を改めて読み返してみた。彼は20%のお利口さんを駆使して、薬物問題の第1次予防から第3次予防に至るまでのダルクの活動を見事に紹介している。それに比べて、同じ参考人で、「ダメ、ゼッタイ」の財団法人覚醒剤乱用予防センター理事長は、潤沢な予算を使い第1次予防のみに終始していることを述べるに留まっていた。そこで、委員(国会議員)から、その理事長に幅広く薬物問題に取り組んでいるダルクなどとの連携を問われても、「そのつもりはない」といった意味の素っ気無い返答であった。この理事長、元旧厚生省の官僚である。経歴からして100%お利口さんだ。どうも80%おバカさんと100%お利口さんは、人種が違うらしい。こんな100%お利口さんが理事長を務める財団法人こそ事業仕分けで何とかならないものかと、結果、司会者の私は些か的外れな自身の不満を他のパネリストに投げかけてしまった。
それに対し、近藤氏は、当時の委員会の雰囲気に少し触れ、その後は上手く本題のドラッグコートの話題へと繋いでいかれた。それからは、石塚氏の講演の補足、そして、神岡女史と壇上に上がってもらった長崎ダルクの中川君の自らの体験談、そして相談業務にあたっての様々なエピソードが語られた。このご両人が話されている時は、会場の空気、雰囲気が別物だった。そう、何か空気が止まっていたのだ。ふっ、と我に返ったところで、近藤氏から「西脇先生、何か喋ってよ」と。時計を見ると、もうまとめなければいけない時間だ。

確かに「日本版ドラッグコート」は是非とも必要である。そして、その制度、システムは、もちろんお国が作成する。つまり、その文言は、ほとんど100%お利口さんの方々で作られるのである。だが、それを運営し、機能させるには50%、80%のおバカさんが加わって行われる必要がある。そうしないと、「仏作って、魂入らず」だ。
そう、あの11月28日の会場で体感した空気、雰囲気といった治療・回復にとても大切なスパイスなしの制度、システムになるからである。


<長崎ダルク9周年記念フォーラムの様子>

<石塚氏と私>

<近藤氏と上岡女史>

<中川君と上岡女史>

<はじまりの「長崎ちゃんぽん」>

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