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  4. 心の安否を問う人のための「精神科医療」と「精神科救急」

エッセイ

このブログの4回前に「人は皆身の安否を問うことを知れども、心の安否を問うことを知らず」というタイトルで、現在の「精神科医療」の問題に触れたが、今回はその続きとして「精神科医療」と「精神科救急」について書いてみようと思う。

今のところ、私たち日本人は心の安否が気がかりであっても、専門医機関(精神科病院)に進んでかかることはまだ少ない。何故だろう?精神科に対する偏見からだろうか。
いや、それよりも、幻覚、妄想状態に支配され食事を拒み続け、あるいは、うつ状態から食欲不振となり著しく衰弱してしまう方、または、自殺を図る方あたりを除くと、心の安否を問うこと、「心の病」は、概ね「死」に至る病ではないからではないだろうか。
即ち、医療機関に対する一般的な理解は、不健康な状態、命に関わる、何か「死」を意識する時に、訪れる場といったものであり、それ故に、心の安否が気がかりであっても、それが死に至らない程度である限り、専門医機関(精神科病院)に進んでかかることは少ないのであろう。加えて、現在の医療はその専門性がかなり分化され、その状態に応じて専門の診療科を選択できるようになっているのも、その理由の1つかもしれない。
しかし、心の安否を問うことの中核は「不安」である。「不安」、それが人類のみが持ちうる心模様であるかどうかは、私にはよく分からない。だが、何時の頃からか、人類は成長し、いわゆる物心が付くと、何れ自らに「死」が訪れることを知る、という能力を身につけるようになった。そして、「不安」のこれまた本質はその「死」そのものである。つまり、心の安否を問うことの中核は、「死」に対する「不安」であるといえる。
近代医学の進歩で、私たちは「死」をあたかも遠のけたような日常を過ごしている。だが、どれだけ医学が進歩しても、私たちは100%の確率で「死」を受け入れなければならないのだ。それは皆分かっている。ただ、「死」を迎える時期については、はなはだ不確実性に満ちている。そのため、「死」に対する認識は人様々である。例えば、航空機墜落事故のテレビニュースを観て、「自分が飛行機に乗ったらその飛行機も墜落するのではないか」と不安になり飛行機には乗れない方と、「自分の乗る飛行機は絶対大丈夫だ」と飛行機大好きの方がおられるように、病の兆し、体調不良についても、その受け止め方は様々である。そして、その身の安否については3つに分けられ、その三分の一が心の安否、つまり、今回紹介したように、その本質は「死」に対する不安からくるものなのである。
ここからが、実は厄介なのである。これまで統合失調症、定型的なうつ病(気分障害)の治療を中心に熱心に取り組んでこられた精神科医にとって、これから紹介する心の病は、その関わりについて必ずしも得意だとは言い難い。
それは、パニック障害、不安障害、身体表現性障害、境界性人格障害、情緒不安定性人格障害などと、それから、そんな心の安否、不安を回避しようとアルコール、薬物などで一時的に心の安らぎを求め、結果、その虜になった様々な依存症である。そんなパニック障害などの患者さんは、その不安が動悸、過呼吸、めまいなどの多彩な身体症状として、それも不安を募らせる夜間に現われることが多い。また、アルコール、薬物に依存した方は、その過剰摂取の結果、これまた様々な身体の病を併発、そして、ギャンブルに強迫的にのめり込んだ方は、借金、多重債務から自ら「死」を選び自殺を図るなどの事態が生じる。そこでおのずと、そういった方々は救急救命センターに救急車で搬送されることになる。
そこでの医師の診察、精査の結果、身体的に異常を認められないと告げられ納得される患者さんはほとんどいない。それ故、その説明・説得に多くの時間を割かれ、多忙な救急医療に携わる医師は要らぬ消耗を強いられる。また、自殺を図った患者さんを救命、意識回復した途端に「何故死なせてくれなかった」と罵倒され、医師としての使命感を見失う医師も少なくないようである。
また、ここで医師がそのような患者さんに対し、精神科病院への転院、転送を提案しても、それに抵抗を示したり、転院に同意し精神科病院へ受診しても、その後、心の病とは受け入れず、精神科での治療契約から離脱し、同じことを繰り返す患者さん、とくにそれは依存の問題を抱える患者さんに多くみられる。では、そういった地域救急医療体制の機能にも深刻な影響を与える患者さんには、精神保健福祉法に基づく精神保健指定医の判断で行える強制力のある入院(医療保護入院・措置入院)を行って欲しいとの要請もある。
しかし、この強制力のある入院は、統合失調症、躁うつ病などで主にみられる幻覚・妄想状態、精神運動興奮、せん妄状態が対象である。よって、自ら心の安否を問うた結果発生するこのような不安に基づく多彩な症状、あるいは依存性疾患から生じる状態のほとんどは、その強制力をもつ処遇の対象とならず、たとえそれに適応する症状がみられても非常に短期間一過性である。
このような患者さんを対象とする精神科救急を、精神保健福祉法によって強制力をもった処遇を行える精神科救急を「ハードな精神科救急」と言うのに対して、「ソフトな精神科救急」と呼んでいる。私は、今後地域医療の中で精神科が真に認められ、貢献を果たすためには、この「ソフトな精神科救急」に対するしっかりした指針が私たち精神科医療に携わる者よって示される必要があると思う。

私の3つの提言

  • このような自ら心の安否を問う(不安に基づく多彩な症状を訴える)患者さん、あるいは依存性疾患の患者さんへの、任意契約の下における治療操作・回復援助の理解と技術を有する精神科医と精神科医療従事者の養成。
  • 主に行政が中心となって、以上のような患者さんが共感し合い、回復を促進できる機会と場作りを行う(ピアサポート・ピアカウンセリング)。
  • 一般医療と精神科医療の連携に加えて、司法ともしっかりとした連携を行い、医療と司法の役割をより明確なものとする(飲酒運転者を含む酩酊者の取り扱い、モンスター患者への対策など)。