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  4. 本当はよく分かってないのに、分かったつもりで制度化されている依存症の事

エッセイ

最近、依存症、アディクション(嗜癖)に関する話題は事欠かない。
飲酒運転とアルコール依存症、芸能人の薬物汚染と薬物依存症、そして多重債務とギャンブル依存症と。そして、その全てが、自殺との関係を指摘されている。深刻な問題である。
だが、この解決策は簡単なのだ。その当事者がその依存対象を止めればいいのだから...。そこで、行政を中心として地域社会では、撲滅のための啓発運動とやらを盛んに行なっている。そして、当事者に関わりのある方々は、依存対象を使用しないように諭し、指導、説得をする。さらに当事者は、その依存対象を金輪際ゼッタイに使わない事を宣言する。知名度の高い芸能人に至っては、記者会見で反省の弁を述べ、同様の宣言をする。さらに、それが最善の手段で、有効であるかのように世間一般では認識し、そういった運動、説得、あるいはゼッタイ宣言を疑問視する事なくその成果を見守り、期待している節がある。しかし、そのような動き、働きかけが、この病の回復に寄与し、この病に関する問題が下火になっているとは思えない。となると、依存症という病の解決、治療、回復は決して容易ではない、厄介な病という事になる。

そういった厄介な病である事を踏まえて、国は2010年の医療費の改定で、まず、重度のアルコール依存症治療に対して高い治療効果が得られる専門入院医療について、新たな評価として「重度アルコール依存症入院医療管理加算」を設けた。その算定要件は、アルコール依存症に係る研修を終了した精神科医療従事者が配置されている事とアルコール依存症の治療プログラムに基づく治療が提供されていること、となっている。
さあ、ここでお尋ねしたい。ここでいう「重度アルコール依存症」とは、如何なるものなのだろうか。一般的に精神科の病で重度、重症とみなすのは、意識レベルの低下とか、知覚・思考の異常、あるいは感情の起伏に問題があり、コミュニケーション能力、社会適応能力が著しく低下した状態を言う。確かに、アルコール依存症者もアルコール性の認知症に陥いったり、また、離脱・禁断症状の期間は、そういった能力が著しく低下している、と言っていい。だが、そのような状態の時は、算定要件のアルコール依存症の治療プログラムに基づく治療を提供できる状態ではない。
つまり、判定基準が分かっていないのに、分かったように「重度」としてしまうのではないだろうか。

そこで、私の私見を述べさせてもらいたい。本来コミュニケーション能力、社会適応能力が著しく高く、仕事もでき、人との協調性もあり、有能で、誇り高い人が、まず最初の条件になる。しかし、そのような人がその生活環境、対人関係から生じるストレスの癒しの術としてアルコールを選択し、依存症となると、そこに待っているのは、アルコール起因の身体的病に加えて、仕事上のミス、対人関係での諍い、飲酒運転といった社会的な問題、果ては離脱・禁断症状といった精神病状態である。それにも拘らず、それを社会的失墜と受け止め、名誉挽回と、これまで以上に奮闘し、ストレスフルな状況の中に身を置き、再飲酒をして、再発を繰り返してしまう。しかし、彼のこれまでの誇り高い生き方は、自らをアルコール依存症として受け入れようとは中々しない。つまりアルコール依存症という病に対する否認が強く働いている。基本的にこのような人物を「重度アルコール依存症者」と規定すべきではないだろうか。
今度の「重度アルコール依存症入院医療管理加算」は、そんな対象患者に向けて「ひと、こと、もの」が一体となって、適切な治療サービスを提供する精神科医療機関に与えられる加算であるべきだ。要するに身体疾患を含めた様々な病に対して言われてきた「重度」の物差しが通用しないのが、今度の「重度アルコール依存症」の基準だと私は思う。
きっと、この「医療管理加算」、本当はよく分かってないのに、分かったようなつもりになって設けられたに違いない。