医は仁術なり

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(金)

09月

エッセイ

2010年9月20日の朝日新聞の"声"の欄に「仁のかけらもない医者の言葉」と題する掲載があった。投稿されたのは70歳代の男性の方である。長年、奥さんが耳鳴りに悩まされておられる、とのことであった。そこで、セカンドオピニオンを求めて、総合病院の耳鼻科を訪れた時のエピソードにふれておられる。そこで、診察を受けた医師から「いくら病院を変えても治らない。治らないものを診断するのは、時間の無駄だ」「見ての通りここは患者が多すぎて、医師はてんてこ舞いだ」と言われ、もう来る必要がないと言われたそうである。その乱暴な言い方にあきれ果て、「医は仁術なり」と言われるが、仁のかけらもない医師である、と指摘されておられる。
書かれてあることは、よく分かる。おっしゃる通りであるし、その医師もそんな言い方は、患者に失礼である。しかし、ここで私が以前にブログに書き、また、今月出版した『依存症治療の現場から!!』にも掲載している「人は皆身の 安否を問うことを知れども、心の安否を問うことを知らず」を思い返して欲しい。(読み返して欲しい。)この中で私は、病を3つのタイプに分けている。この奥さんは多分、その3つのタイプの中の「心の悩み・苦しさを痛み、息苦しさ、動悸といった様々な身体症状で表現しておられるタイプ」の様である。そんな症状として耳鳴りを訴える方もかなり多くおられる。診察した医師が精神科受診を念頭に入れて病状説明をしておられたらよかったかもしれないのだが...。しかし、一般科の医師が、精神科への受診をすすめる気遣い、気苦労は、以前にも紹介している。そこいらのシステム作り(トリアージュ)と、やはり国民の「人は皆身の 安否を問うことを知れども、心の安否を問うことを知らず」についての意識改革も必要であろう。

そこで「医は仁術なり」であるが、その思想的基盤は平安時代まで遡ることができ、そして、江戸時代に盛んに用いられる様になっている。当時、御殿医になると、武士に準じる身分となり、禄高はそれほど高くなかったものの、家老などの高級武士、城下の豪商一族の診立て、治療依頼を受ける様になった。そこで、今日まで続く「医師への付け届け」が慣例化し、御殿医は、それで私腹を肥やしたのである。そんな御殿医と富裕層との関係、行為に対して庶民は不満を持っていることを察した新井白石(徳川家宣の側近)は、1700年代前半に「仁愛恵施せよ」として、「医は仁術なり」と唱えたとされている。何のことはない「医は算術」であったがために「医は仁術なり」なのである。皮肉なことだ。
山本周五郎作の「赤ひげ」は、新井白石の奨励する「医は仁術なり」の実践の場である小石川診療所における物語である。そして、黒澤明によって映画化されている。そこには、貧しい庶民を黙々と診療する医師(三船敏郎)と、長崎で西洋医学を身に付け御殿医を志すも小石川診療所に派遣されて不満を抱く若い医師(加山雄三)の心の変化を描いている。
実はこの制度、つい最近まで続いていたのだ。医学部を卒業した医師のほとんどは、大学付属病院の自分が志望する診療科の医局に入局していた。そこで、数年臨床経験を積んだ後、その大学医学部付属病院医局と連携している病院に派遣される。それは離島の場合もあれば、僻地の場合もある。そんな大学医学部付属病院の医局を中心とした医師の人事交流には幾つかの問題もあったが、日本の地域医療の中核を担ってきた。しかし、2004年、新たな臨床研修制度が導入された。その制度で、大学付属病院以外の病院でも要件を満たせば研修医の臨床研修が認められた。そのため、大学付属病院の医局は医師不足になり、連携病院からの医師の引き上げが行なわれた。結果、離島、僻地の病院の医師不足は深刻なものとなった。

確かに、投稿された方のお気持ちはよく分かる。奥さんに対する医師の態度は失礼である。
だが、今日の医療は高度化、専門化に加えて、治療の手続き、同意を得ることなどなど、診療に割く時間が制限されるほどの多忙さである。それに医師の配置が、新たな臨床研修制度の導入に伴い混乱した状況にある。確かに、今、医師に「医は仁術なり」を求めるのも大切なことである。しかし、一方で、医師の書類作成などの雑務の軽減を補佐するクラーク、それに効率的なIT化(電子カルテ)、さらに、患者に対して適切な診療科への誘導などの情報の提供が行なえる医療コンシェルジュの院内への配置といったことを踏まえた抜本的な制度改革が必要ではないかと、思うのだが...。