四文字七音

01

(火)

03月

エッセイ

半藤一利著「あの戦争と日本人」を読んでいたら、次のような件(くだり)があった。

"2009年夏の選挙で、民主党が予想どおりに大勝、自民党が崩壊して新しい政権ができました。民主党はその選挙中、「政権交代、政権交代」というスローガンだけでぐんぐん飛ばしていましたね。一つ前の選挙を思い出してみると、あの時は「郵政改革」。「セイケンコウタイ」「ユウセイーカイカク」...日本人というのは、こういう四文字七音の言葉に何となくたやすく乗せられるんじゃないですかね。ちょっと古きをたずねますと、幕末の尊王攘夷も「ソンノウジョウイ」で四文字七音。それに始まって、「公武合体」「尊皇倒幕」...(中略)「大政奉還」「王政復古」、明治になって...(中略)「王政一新」、さらに「文明開化」...(中略)「廃藩置県」、そして徴兵制ができて「国民皆兵」、「自由民権」、「富国強兵」(中略)...盛んにこういった言葉が作られ、日本の近代史を彩ります。歴史の流れがもう四文字七音で全部たどれるんですよ。昭和になれば、もう四文字七音の氾濫といっていいくらいです。...(中略)そのぐらい四文字七音は、日本人の感性に合っているのかもしれません。"

なるほど、なかなか面白い。

診察室で私と向き合っている人物は、私と同じ64歳の男性だ。彼は覇気がなく、憔悴しきっていた。眠れない。夜間何度も目覚める。食欲も落ち、やる気がない。自分が生きていてもいいのか、といった考えに支配されているそうだ。付き添ってきた娘によると、生活環境が厳しい状況で、入院してもらってゆっくりさせたいと...。すでに、数日前に予約が入っていたので、ストレスケア病棟に彼のためのベッドも準備していた。早速、静養と薬物調整のための入院をしていただいた。

父親が病棟に向かった後、娘が今、置かれている生活環境を詳しく語ってくれた。そして、十年ほど前に、今回と同じような生活環境に身を置いたことがあることも。その時は重篤な喘息に苦しめられ、内科の治療を受けており、現在も喘息の治療薬が手放せないでいるそうだ。
「なるほど、当時は同じストレスフルな環境に対して、体が悲鳴を上げ喘息の発作に苦しめられたんですね。多分、治療にあたった内科の先生は、心身医学的なアプローチ、つまり心療内科的な視点で治療をなさったんでしょう。今度は、同じ状況下で心が悲鳴を上げて、うつ病になられていますね。私ども精神科で治療が必要ですね。」と私は解説を加えた。

すると、彼女は「うつ病は心療内科が診ると思っていました」と。
例の2011年2月5日、地元新聞に投稿した県教育長の「心療内科医」発言もそうだ。あの投稿については一通のお手紙をいただいた。私の投稿内容には賛同しておられたが、「県内に心療内科医がいないのは、意外です」と述べておられた。

心療内科(シンリョウナイカ)。四文字七音だ。やはり。これも何となくたやすく乗せられる言葉なのだろうか。ご存知のように、心療内科が、一般に誤解されていることを、今までのブログで私の意見として述べてきた。そこで今回は、心療内科の専門医の意見を紹介しておこう。

最近発売された「病院の実力2011総合編(読売新聞社医療情報部編)」で心療内科を取り上げたコーナーでは、まず「体と心を分けず総合的に診るあくまで『内科』の一領域」と大見出しで述べている。そして、日本心療内科学会理事長の中井吉英医師は、「精神科は、統合失調症やうつ病、不安障害といった心の病気、つまり精神科疾患を診断・治療する診療科です。心療内科はそうでなく、あくまで内科の一つなのです。ところが、全国で『心療内科』という看板を掲げている医療機関の9割以上は、精神科医が診療しています。...(以下略)」と語っている。そして...、全国に心療内科医は800人余り、と。
また、私の小・中・高校時代の友人が九州大学医学部病院心療内科教室で研鑽を重ね、心療内科の専門医となっている。彼は福岡で開業しているが、心療内科を標榜していない。何故なら、彼が専門外の精神科領域の患者(統合失調症、躁鬱病、依存症者など)が、治療を求めてくるからである。

しかし、診療科目の標榜は自由である。そこで、「精神科医が心療内科を第一標榜にするのは、精神科疾患の患者の受診を容易にし、敷居を低くして...」、偏見、差別をなくすかのごとく言われてきた。長崎では、そういった理念で長崎市立病院が精神科医を配置して、県内で最初に心療内科を第一標榜した。そして、第二標榜に精神科を掲げている。何故かお分かりかな?

心療内科標榜のみなら、保険診療の上では、カウンセリングは心身医学療法として1回に800円(患者負担は3割)である。しかし、精神科を標榜しておけば、通院精神療法として、1回3300円(患者負担は3割)いただける。加えて、自立支援医療費制度の精神通院を活用すると患者負担は1割となる。つまり、心療内科を表看板にして沢山の患者を呼び込み、精神科標榜することで可能となる患者自己負担を軽くし、より高額な通院精神療法で収入を確保する、といった経営的に魅力あるモデルを公的医療機関が、議会の承認を経た上で、まず具現化したのである。その後、県内では、精神科医が心療内科を第一標榜とする夜間は閉じたビル診療所、あるいはクリニックが乱立することになった。これは、患者のためなのか、心療内科を第一標榜として実際は精神科診療を行っている精神科医のためなのか、どちらなのかお考えいただきたい。

まぁ~、心療内科の専門医にとって、決していい気分ではないはずだ。迷惑なことであろう。でも、長崎県内には、心療内科医はいないから、大丈夫である。

こうして、今の私にとっても身近な四文字七音である「心療内科」、確かに日本人にとって、それはたやすく乗せられ、感性的になじみやすい言葉のようだ。しかし、その中身をよく吟味し、理解しておかないと大変なことになる用語であることもお分かりいただけた、と思う。県教育長もそんな心療内科の医療の中での真の位置付けと、精神科医が「心療内科」を第一標榜の選択に至った経緯をご存じだったらよかったのだが、「心療内科医」発言はお気の毒なことである。

そして、「政権交代」(セイケンコウタイ)のその後ってのは、どうなのかな...。


参考図書
 *「あの戦争と日本人」:半藤一利 文藝春秋
*「病院の実力2011総合編」:読売新聞医療情報部【編】