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カルテが流れた...

22

(火)

03月

エッセイ

 長年腎不全で透析治療を続け、その合併疾患で入退院を繰り返しながらも満身創痍で、精神科医院を開設、診療を続けてきた友人の精神科医が、2011年3月5日(土曜日)に急逝した。地元医師会は、その医院の職員に対して、開設者、医師不在の状態での医業活動、医療行為が行えないことを伝えてきた。医療法上で当然のことではある。彼がこれまで入院するたびに彼から電話で代診の要請を受けてきた。その都度、西脇診療所のS所長、そして当院の医師らで時間の調整を行い、彼の入院中は何とか彼の医院の診療に支障をきたさないように維持してきた。今度は開設者が亡くなってしまった。うちの法人(西脇病院・西脇診療所)から、彼の医院へ常駐させるために医師を派遣する余裕はない。
私はそれが気がかりであった。3月6日(日曜)の通夜の席で、案の定、彼の奥さん、そして、医院に残された職員らから明日にも来院してくる患者への対応について相談を持ちかけられた。もちろん、患者は処方薬がなくなるので来院してくるわけだ。ほとんどの患者は心の安定を保つために処方薬が手放せない。
私は、3月7日(月曜)より当法人に彼の医院のカルテを移動し、患者の対応に当たることを決断した。個々人の情報が記録されたカルテを本来の管理場所から移動させること、個人情報保護法に触れるに違いない。だが、私には、その時、そんな考えしか浮かばなかった。そこで通夜の席からうちの法人の事務部長に連絡、翌朝には、彼の医院のカルテをまず西脇病院に移し保存することを指示した。そして、彼の医院の職員には、明日にも受診するだろう患者から順次、西脇病院に移動され、西脇病院、西脇診療所に受診して処方薬を受けることが可能であること。さらに交通アクセス等で、他の医療機関を希望の場合は、その医療機関に薬剤情報、ないしは情報提供書を発行することを伝えるように、これもまた指示した。
翌日3月7日(月曜日)以後、従来の診療に加えて、彼の医院の患者のカルテを西脇病院、あるいは診療所のカルテに移行した上で診療、処方薬の提供、希望される方には他医療機関への紹介と、とにかくそうした診療業務に忙殺されていた。
そして、3月11日(金曜日)、たまたま、午後3時前後に時間が空いていたので、一息入れてインタネットのニュースサイトにアクセスしてみた。そこで、東北地方での巨大地震の発生を知ることになった。帰宅して、テレビの情報に釘付けになった。三陸沿岸の幾つもの街が消えている。巨大津波が襲ってきたのだ。多層階の市役所、学校、そして病院ものみ込まれている。もちろん多くの方々が犠牲になられているのは、容易に理解できる映像が次々に流されてきた。
これは万単位の死者・行方不明者がでるなと思った。大きな病院がのみ込まれている以上は、街中で開業されている多くの診療所、クリニックも流失、崩壊しているはずである。ならば"カルテも流れている"と。そこまで考えがおよぶと、巨大津波の難を逃れた患者のことが気になる。とくに慢性疾患の患者で、処方薬、あるいは透析等で心身の安定を保っておられる方々が気がかりである。

この巨大地震、津波を受けて救援活動が開始された。直ちに、食糧、燃料、そして医薬品が被災地に運びこまれるようになった、とメディアは報道し始めた。
医薬品と一括りに報じられている。だが、医学が進歩した今日、多くの薬品が開発され、医師は各々の患者の病状、病態に応じた薬を処方できるようになっている。一つの慢性疾患であっても、個々の患者の処方内容は様々である。
それが記載され、その処方を行った根拠が記録されているのがカルテである。
そのカルテが流れた。それは被災地の現場では深刻な問題になっているはずだ。

一方で、この震災で深刻な事態の一つとして原子力発電所の被害と、その修復へのチャレンジが私たちの関心事となっている。そこで私は、原子力発電所の事故に対して、危険度がいくつかのレベルに分けられていることを知った。

そこで、診療行為において、それが機能不全に陥るレベルの軽重について考えてみた。
◎レベル1:その医療機関の開設者(医師)が病に罹る、あるいは事故に遭遇して、当面診療行為ができなくなる。だが、カルテは存在し、そこの職員も健在である。これは他の医療機関の応援による、いわゆる代診で切り抜けることができる。
◎レベル2:その医療機関の開設者(医師)が死亡など何らかの理由で存在しなくなるも、カルテは存在。そして、そこの職員も健在である。
こんな状況の対応と収拾に、3月7日(月曜日)より私とうちの職員が取り組んでいる。
◎レベル3:その医療機関の開設者(医師)、および職員も存在しなくなり、カルテのみ存在。
◎レベル4:その医療機関の開設者(医師)、および職員も存在しなくなり、カルテのみ存在。しかし、そのカルテは損傷、破損がひどく、その判読が著しく困難な状態にある。
◎レベル5:その医療機関の開設者(医師)、職員、そして、カルテの全てが存在しない状態にある

今度の震災の惨状からして、このレベル5の状態に多くの診療所、クリニックが陥っているはずだし、ある程度の規模の病院においても、レベル3~4程度の状況にあることも推察される。

そこで、このような災害発生時の適切な対応手段であることも含めて、今日、医療活動に対するネットインフラの構築、整備を行い、医療情報の共有化と、その管理体制について検討がすすめられている。ただ、電子カルテの標準化と個人情報の管理、つまりセキュリティーの整備が課題となっているようだ。

だが、今回のような災害を目の当たりにして、また、被災地の個々の患者に適切な薬が行き渡ってないことが、十分に想定される現状を考えると、このようなシステムの構築と整備が急務である、と言わざるを得ない。