ECOが消えた

26

(火)

04月

エッセイ

私がまだ生を授かる前のことである。日本は米英と戦をしていた。そう、太平洋戦争だ。
当時の日本人は、日本は神国であると信じ込まされ、巷では「鬼畜米英」と合唱連呼がなされていたそうである。しかし、日本国は、米英の圧倒的な物量と軍事力に徹底的に叩きのめされ、最終的には2発の原子爆弾で、その戦いに終止符を打った。その日(1945年8月15日)以来、「鬼畜米英」は死語になってしまった。

2011年3月11日、東日本太平洋沿岸を地震と大津波が襲った。これは地球がホンのわずか身震いしただけである。それにも拘わらず、三陸地域沿岸に甚大で壊滅的な被害を与え、4基の原子炉の機能がままならず、私たち国民に不安と、近隣地域の方々には、それに加えて計り知れない不自由な避難生活を強いている。これは地球という惑星の基本的な営みの一つに過ぎないのだろうが、私たち人間にとっては途轍もない脅威であり、これまた徹底的に打ちのめされてしまった。そんな3・11以後、ある言葉が世間から消えたような気がする。あれだけ盛んに使われていたのに...。
それは「エコ」だ。この「エコ」の付属語として、使われてきたのが、「愛は地球を救う」、「環境にやさしく」「地球が危ない」などなどだった。そのほとんどの付属語は、地球環境上の一生命体(生態態の一つ)に過ぎない人間が、とてもコントロールできない地球環境に対して、些か上から目線で見ているかのような標語である。私は以前から、ずっーと気にはなっていた。

この震災の後、復旧、復興もさることながら、東日本、とくに首都圏の電力(エネルギー)不足、東日本の精密部品工場の崩壊が世界経済にも影響を与えかねない、と懸念されている。確かに「エコ」どころではない。代替エネルギー、自家発電の規制緩和、「エコ」が理由で停止していた火力発電の再開などと、色々と議論され、対策がとられているようだ。
しかし以前もふれたが、省エネ大国の日本のトップが国連で、何故「CO2を25%削減」と演説なさったのか...、困ったものである。「エコ」といった用語がこれから復活することやら、それとも死語になってしまうのか、少し気になるところだ。

あの戦の後、「鬼畜米英」が死語になった日本は、「鬼畜米英」の一国であった米国と同盟関係を結び、目覚ましい経済成長を遂げた。そして40年後、バブル景気とその崩壊、それからの日本は陰りをみせ、元気がなくなってきた。そんな衰退を思わせる時期に今度の震災である。いわゆる戦後の復旧、復興、そして日本経済の成長と躍進、それにともなうバブル期に40歳代で、社会の中核にいたのが、私たち「団塊の世代」である。
今回の東日本大震災で「エコ」が死語になるかはともかくとして、復旧、復興は急務である。その後の日本経済が立ち直るためには、エネルギー対策が不可欠である。そして、40年後だが、ちょうど2050年問題を迎える。つまり、地球上の人類が100億人になるといわれている。その時、40歳代を迎えるのは、これからも続くだろうが「少子化世代」だ。この人類の異常繁殖はもちろん、エネルギー問題だけではない。世界的な食糧問題、水問題への対応も迫られるはずである。

繰り返しになるが、「鬼畜米英」が死語となって、そして、焦土から立ち直った40年間。そこで育ち、学び、自立して、日本経済の成長と繁栄に貢献し「団塊の世代」と呼ばれた一群は、私たちの世代である。そして、この先の40年間を担うのは、これからの世代、つまり「少子化世代」である。彼らには、「エコ」を死語にしないまでも、些か地球を見下した「エコ」用語に洗脳されないでほしい。その上で、しっかりとこの国の立て直しを行い、そして、その後の世界的人口爆発(人類の異常繁殖)に立ち向かってもらいたいものである。

私は、そこまで生存していることは叶わない。いや、それがいい。でも、「後はお前たち(これからの世代)に任せた」と語りながらも、憎まれっ子として、今しばらくはお付き合いさせていただきたい。

「過去をより遠くまで振り返ることが出来れば、未来をより遠くまで見渡せるだろう」
ウィンストン・チャーチル