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重複障害-ハルとヒデ

18

(水)

05月

エッセイ

「ハル!」と私が指名をすると、ハルは立ち上がり、「性同一性障害のハルです。ここには以前、アルコールと薬に依存して入院していました」と語り始める。これは毎週火曜日の18時45分から20時まで行っている夜間集会の流れの中でここ3ヶ月余り、慣例となっている。
ハルは主治医の後押しで参加するようになった。そして、2回目の出席の時から、自らを語り始めた。夜間集会は依存症者中心の大集団療法だ。初めはハル自身にも、また参加メンバーとっても戸惑いがあったに違いない。もちろんハルには、とても勇気がいることだっただろう。でも私は毎回、ハルを指名し続けてきた。3ヶ月が経過した今、ハルが語り始めたら、私は参加メンバーを見回す。誰もが、穏やかな眼差しでハルを見つめ、あるいは目を閉じて、じっーとハルの体験談に耳を傾けている。そして、会場全体に何か柔らかな空気が漂っているのが分かる。それは、ハルがこの非組織だが皆が毎週集う夜間集会の仲間入りした証だ。

夜間集会、毎週一回行ってきて、35年になる。最初は6人部屋の病室で入院中の6人のアルコール依存症者と私、計7名で始めた。ベットの上に皆あぐらを組んで語り合っていた。当初の7名で、今も夜間集会に参加できているのは、「依存症の生」のYさんと私、2人だけになってしまった。

1975年4月から1976年3月にかけて、私は、地元大学附属病院精神科よりの派遣で単科の県立精神科病院に赴任していた。仕事をしない、いや、できない私を見兼ねた副院長が、1976年2月に行われた「第一回アルコール中毒臨床医研修会」への参加をすすめて下さった。私は二つ返事でそのすすめを受け入れた。理由は研修の場が神奈川県だったからである。私は関西の医科大学を卒業している。だから、東京、神奈川といった関東をほとんど知らない。たまたま、その当時〝たそがれ横浜" とか"横浜~♪横須賀~♪"などといった歌がはやっていた。横浜、横須賀の近くなら行ってみたい。ただそれだけであった。

今もこの研修は続いている。研修の場所は、今も当時も国立久里浜病院(現:久里浜アルコール症センター)である。期間は、第一回目だけは2週間だったように記憶している。ただ、私はこの久里浜の地がどこにあるのか詳しく知らなかった。そこは三浦半島の先端で、その先は太平洋、長崎よりもモット田舎だった。とにかくそこで2週間の研修を受けた。私が思い描いていた期待は見事に裏切られた。そんなことだから、研修に身が入るわけがない。今も研修内容はほとんど憶えてない。ただ、研修最終日だったと思う、この研修を企画、実現された当時の国立久里浜病院河野裕明副院長、そして病棟スタッフと退院し、街で暮らしながら、回復を図っている患者OB(その多くは地域の自助グループである断酒会会員)との交流会というか、懇談会が行われた。その集いに、もちろん私たち研修生も参加した。
懇談会の中ほどで一人の患者OBがほほ笑みながら語った、「私は3年も止めたので、ぼちぼち酒を飲もうかと思ってます」と...。私は当時、1年以上アルコールを断ち続け、治療につながっている患者を知らなかった。"おいおい折角3年も止めてるのにそんなこと考えて、治療者の前で口にしてもいいのかい...?"と思いながら、河野先生の反応を確かめたくて、彼の方へ視線を移した。河野先生も笑顔で、ただ黙ってニコニコされているだけだ。別に何の指導、助言もなさらなかった。"えっ~これでいいのだ"。
となると、私は、この"これでいいのだ"をやりたくなった。

研修を終えて県立の精神科病院に戻ってきたが、その年の4月には地元大学付属病院精神科へ再び帰らなければならなかった。大学病院は総合病院である。精神科病棟は50床あまり、アルコール依存症者の入院は、年に数名だ。だが、その頃の私は"これでいいのだ"をやってみたかった。大学病院の精神科病棟では無理だ。ただ、大学病院に勤務していると週に1日、民間精神科病院に非常勤で勤務することができる。それも当直も行わなければならなかった。そこで、私はその非常勤の勤務先を西脇病院にした。そして、当直の時間を利用して"これでいいのだ"を6人の患者と始めた。それが35年続いて今も行われている夜間集会である。

そうだ、ヒデもこの夜間集会の常連になってずい分になる。ヒデはうちの病院に関わる前、すでに20歳代後半から、10数回、他の精神科病院の入退院を繰り返していた。いわゆる酒乱(複雑酩酊をおこす)タイプに加えて、素面の時もしばしば問題行動をおこしていた。そのため、精神科病院だけでなく、警察ざたも数えきれないほどおこしていた。そんなヒデが西脇病院を受診し、最初に入院したのが9年前だ。そして、2度目の入院中に病院内で、やはり器物破損で警察に逮捕された。数十日間拘留された後、主治医の、もう一度チャンスを、といった思いから再び入院してきた。その後、前向きにアルコールを断つことを考えたのはいいが、今度はかなり深刻なうつ状態に陥ってしまった。そこから抜け出すのに相当苦労したようである。食事も摂れず、体重がみるみる落ちていった。死を何回も考えた、と後に語ってくれた。そんなうつ状態の回復を目的にした入院を数回繰り返した。そして今は、地域の自助グループの一つAAにしっかり関わりながら、病院のデイケアに通所、かつ先に述べたように夜間集会に参加して、自らの過去を赤裸々に語り続けている。

ハルもヒデも重複障害である。ハルは性同一性障害と依存症、ヒデは依存症とうつ病だ。他にもある。依存症と社交不安障害、強迫性障害と依存症、摂食障害に依存症、そしてPTSDから依存症にと、様々である。
実は、この重複障害の理解と治療の流れを精神科医療従事者、とくに精神科医が身につけることが、自殺対策の必須条件だと私は思っている。何故なら、死に誘う(いざなう)病を乗り越えようと気負う必要はない。死に誘う病としっかりと向き合い、決して孤立することなく「今日一日」を共に過ごし、明日への生につなげることが大切だ。
ハルとヒデはそれを見事に証明してくれている。

それにしてもハルとヒデは幸運だった。それは、これまでの依存症治療の実践の中で、重複障害の理解と治療の流れを身につけた二人の精神科医が主治医であったからだ。
もちろん、私はどちらの主治医でない。それも、ハルとヒデには幸運であった (笑)。

内閣府の自殺予防対策コマーシャルでは、「お父さん、眠れてる?」「お医者さんにご相談を!」と広報しているではないか。さあ次は、その相談を受けたお医者さんが何をするのかを示す番だ。とくに精神科医は...。
もう一度言わせてほしい。その大事な要件の一つが、この重複障害の理解と治療の流れを身につけていることだ、と...。


恩師、河野裕明国立病院機構久里浜アルコール症センター名誉院長
平成22年12月4日永眠。享年83。ご冥福をお祈り申し上げる。