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マスコミを受け入れるということ(1)

書籍・雑誌

2009/03/10(火)

日本精神科病院協会雑誌別刷(2008 Vol.27 No.4)
はじめに

単科精神科病院の理事長、院長である私は、もちろん病院の管理・運営と患者の診療に多くの時間をあてている。そしてまた、それ以外のことにも時間を割かねばならないのが私の日常である。その1つには私の持論を伝えることがある。私は以前から「精神科病院らしくない病院」「病院中心の精神科医療から地域中心の精神科医療へ」といった表現が嫌いである。確かに、それは耳ざわりがよく、患者本位の医療が提供されているといった響きを持っている。

しかし、私は、精神科病院は精神障害者と精神科疾患の患者をしっかり診る「精神科病院らしい病院」だと思っているし、それは地域社会の重要な社会資源であると自負している。そんな私の持論を伝えてくれる媒体がマスコミである。よってマスコミとの対応の時間が必要なのである。

ラジオの時間

当院では、1999年から2000年にかけて新改築を行い、私の理念である「機能分化」「ダウンサイズ」「利便性の確保」が実践できる施設面の環境づくりを一応整えた。そこで、この際、地域の人たちが心の病を自分のこととして考えてもらえるようなメッセージを、装い新たにした精神科病院から発信できないものか、何かもっと精神科病院が地域の仲間入りをさせてもらえることができないものか、という思いを持つようになっていた。当時、地元民放のラジオ局で、毎週土曜日の午後、放送局を飛び出し、繁華街、あるいは観光名所、さまざまな商業施設にスタジオを移してラジオ番組が行われていた。たまたま、その番組の担当アナウンサーとは知己の間柄。「うちの病院から放送してみたら!」と持ちかけたところ、その声かけから約2ヵ月後に実現したのである。

新装した建物の最上階、研修室と命名したものの、まだ研修室としての役目を発揮する機会に恵まれていなかった一室に、まず放送用ミキサーが運び込まれた。そして、テーブルには放送用のマイクが置かれ、さらにバックバンドであるマリンバ・パーカッションの打楽器なども設置され、見る間にスタジオへと様変わりしていった(下の写真)。

さぁいよいよ放送開始だ。「どこでも行きます270分、熊ちゃんとゆっこの引っ越しラジオ!隔離じゃなくって、開放的な精神科病院、西脇病院からお送りします」と、さっそく今日の引越し先が西脇病院であることをゆっここと由紀子アナウンサーが紹介してくれる。「いまは別に開放的なのが精神科病院の売りではないけど、まぁいいか」等と思っていると、熊ちゃんこと熊切アナウンサーがすかさず、「この病院、木目調ですよね。すべての木、何かの意味があるのですか、やはり心が癒されるのですかね」と、その後4時間半たっぷりお付き合いさせていただいた。もちろん私1人ではそんな長時間、おしゃべりの専門家に太刀打ちできるわけはない。幸い、途中からダルク相談室の室長が応援に駆けつけてくれたり、眼鏡橋のたもとにある西脇診療所に移動放送車が出かけ、そこで診療所長にもインタビューに応じてもらう等、おかげで順調に番組は流れていった。また由紀子アナウンサーも、「西脇病院探検隊」と称してレストラン、病棟、デイケアセンター等、病院内を番組の合間合間に駆け回り、職員へ、そして患者さんに、さらには当日行われていた家族教室に参加の家族の方々にもインタビュー、皆さん気軽に、それも楽しみながら取材に応じてくれ、終わってみたらあっという間の4時間半であった。こうして精神科病院発、270分間にわたる長崎県下全域、佐賀県、熊本県の一部に向けての完全生放送は無事終了した。

今回の精神科病院からの270分完全生中継は、精神科病院も地域の社会資源の1つであると認知される先駆けにでもなればといった思いで始めたことであった。だが番組終了後、多くの友人、知人たちが尋ねてきたのは、「270分の放送にいくら支払ったの?」であった。もちろん、番組の取材に協力し、場所を提供しただけ、といったことで無料である。また逆に私も出演料はいただいていない。

とにかく精力的に番組を組み立ててくれた地元民放ラジオ放送局スタッフのおかげで、私たち精神科病院に勤務する者が社会参加の1つの貴重な機会を与えてもらえたわけだし、また、番組時間内も地域からの入院要請を受け入れる等、日頃と変わりなく淡々と業務を行ってくれた病院職員、そして、それなりのスタンスでこの生放送に協力、お付き合いいただいた入院患者の皆さん方、そういった人たちに感謝しつつ、尋ねられた内容はともあれ、地域の友人、知人の反応から少しは地域社会に精神科病院も仲間入りさせてもらえたかなと思ったものであった。