1. ホーム
  2. Ken’s Lounge
  3. エッセイ
  4. 漫画家が精神病院にやってきた!

エッセイ

私は、精神科病院の理事長、兼院長である。
最近になって、厚生労働省のお役人さん方のお考えがお変わりになって、精神科病院では地域移行とやらで、長期在院患者の退院を促進するようにと指導されるようになった。私に言わせれば、今さら、そんなの遅れているよ、である。

私の病院では、1982年当時、病床数260床のところ、300人余りの患者を入院させていた。だが、それをお役人さん方は容認、むしろ、増床をすすめておられた時代であった。でも、へそ曲がりな私は、当時から患者をどんどん退院させて、一時は190人まで減らしてしまった。現在では、そこまで減らし続けると経営的に成り立たないので、今は病床数229床で、日々の入院患者は220人前後で病院を運営している。ただ、時機をみて200床以下には落とそうかと思案中である。つまり、ず~っとスモール・イズ・ビューテフルの精神を貫き通してきた。
だから、お役所のお作りになった「病院中心の精神科医療から地域中心の精神科医療へ」が大嫌いだし、また、我ら同業者がよく口にする「精神科病院らしくない病院」にも賛同できない。
私は、自分の病院が、そんな地域の中心から外れていると思いたくない。「地域社会の中心的な役割を担う、重要な社会資源である」と自負しているし、職員もその誇りを持ってもらいたい。そして、精神科疾患の患者をしっかりと治療できる「精神科病院らしい病院」でありたいと思い続けている。

そんな思いを、同じ地域で生活を共にしている方々に少しでも分かってもらいたいといったことから、その有力な手段であるマスコミの取材にはできるだけ協力してきた。テレビ、ラジオ、新聞、そして映画と、ここまでお付き合いすれば、もう後はないはずだと思っていた。ところが、漫画があったのだ。その関わりの経緯と詳細について、関わった作品『ブラックジャックによろしく:精神科編』の原作者佐藤秀峰氏が、ご自身のホームページ、『佐藤秀峰on WEB』の「漫画制作日記」にとても楽しく紹介しておられる。
今回、その転載をお願いしたところ、快く許可していただいた。以下「漫画制作日記」・2009年3月12日、3月13日の絵(漫画)日記である。作者はもちろん佐藤秀峰氏だ。

*数年前から、「精神病院」を「精神科病院」と表記・呼称するようになった。しかし今回のタイトルは、「精神病院」とするのが収まりがよさそうな気がした。そこで「漫画家が精神病院にやってきた!」としてみた。

佐藤秀峰 on Web

『漫画制作日記』2009/3/12 西脇病院。

昨日は取材に行っていました。
貴重な体験をさせていただいたので、ここで紹介したい所ですが、現在進行中の取材につきましては、お話しできないことも多いので、ご了承ください。
さて、ホームページを開設以来、たくさんの方からメールをいただいています。
恐らく、開設からの1ヶ月間で、漫画家生活11年間の中でいただいたお手紙の、何10倍かのメールをいただいたのではないでしょうか?応援のメールもご批判のメールも、すべて大切に読ませていただいています。
なかなか1つ1つのメールにお返事を書くことはできませんが、ずっと宝物にさせていただきます。

そんな中で、以前、取材でお世話になった、あるお医者様からご連絡をいただきました。
精神科医の西脇健三郎先生です。

<西脇病院。>

西脇先生は、長崎にある西脇病院(229床)という精神科単科の大きな病院の院長さんを務めていらっしゃって、『精神科病院とは、それ自体が地域の重要な社会資源である』というお考えの元、地域と積極的に関わりを持つとともに、各メディアの取材にも協力してくださる数少ない精神科医のお一人です。

<院長 西脇先生。>

その節は大変お世話になりました。わざわざご連絡をいただいて、本当に感激の至りです!
いやー、それにしても本当に少ないんですよ。取材に協力してくださる精神科病院って...。比較的、症状の軽い患者さんや、急性期をすぎた患者さんが入院されている『開放病棟』の見学や、写真の撮影は協力してくださる病院がいくつかあったのですが、重症の患者さんが入院されている『閉鎖病棟』を見せて欲しい、となると、どこもNGでして。『これが新聞の取材なら見せてもらえるんだろうか?』『漫画の取材だから見せてもらえないのだろうか?』などと悲しくなることもありました。

<閉鎖病棟ホール。>

精神科領域を描くということは、漫画の世界ではどちらかというとタブー視される分野で、僕も緊張していました。取材も慎重に行おうということで、病院、患者会、家族会、人権団体、製薬会社、新聞社、と多方面に出かけましたが、やはり描くにあたって、『閉鎖病棟も含めて、病院の内部をじっくりと見たい』『できれば体験入院してみたい』という気持ちが抑えられなくなっていました。
その頃、僕はまだ、自分で取材のアポイントメントを取るという習慣がなく、編集さんに無理を言って、全国の病院に1件1件、電話をしてもらいました。普段、編集さんの文句ばかり言っている僕ですが、このときばかりは編集さんに非常に感謝しましたね。

<ナースステーション。>

関東の病院は全部断られ、関西もダメ、東北も四国もダメ...。そしてついに長崎で西脇先生にめぐりあいました。先生は、『見たいんだったら、ウチの病院においでよ。なんだったら、ちょっと入院してみる?』と言って下さいまして、僕は一気に救われた気持ちになったのを覚えています。
このときの様子は、『日本精神科病院協会雑誌別刷2008 Vol27 No.4』(創造出版)"特集 精神科医療とメディアとの距離 マスコミを受け入れるということ"の中で西脇先生ご自身が触れています。先生に引用のご承諾をいただきましたので、まずは、そちらの文章をご紹介しますね。

<陶芸教室。>

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

講談社という出版社から『『ブラックジャックによろしく』で精神科編を描くことになったので、作家をおたくの病院に数日入院させていただけませんか』との問い合わせがあった。当時、私は『ブラックジャックによろしく』なる作品のことは何も知らなかった。帰宅して東京の医大に通う娘に電話で尋ねてみたところ、『妻夫木にも会うの?』と即座に問い返してきた。その後の電話のやり取りのなかでわかったことだが、この『ブラックジャックによろしく』は研修医を主人公にした人気漫画週刊誌に連載中の作品で、2004年には『涙のがん病棟』として、人気男優の妻夫木聡が主人公を演じてテレビドラマ化されたそうである。どうも娘は新たなテレビドラマの撮影があると勘違いしたらしい。作家(佐藤秀峰氏)ご本人の希望であればと、3日間の体験入院を受け入れた。

<陶芸教室2。>

最初の1日目は、病院職員の接遇をよくも悪くもストーリーに反映させてほしいとの私の思いから、病院職員には伏せて入院してもらい、隔離も拘束も経験してもらった。2日目以降は取材の必要から、病院職員にはオープンにせざるを得ず、病院の隅々、さまざまな患者の病態を観察してもらった。それからが大変だった。毎週ゲラ刷りの漫画原稿がFAXで送られてくる。それは、出張先のホテルにまで追っかけてくる。いわゆる監修をやらされた。現在精神科編は、単行本(『ブラックジャックによろしく』9巻~113巻、講談社)として全国の書店で発売されている。
この漫画を通して、少しでも精神医療の世界が多くの人に理解していただければと願うばかりである。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<保護室。>

懐かしいですねぇ。
確かにこのような体験をさせていただきました。病院の職員の方には事前に何も言わず、『長崎に旅行に来てパニック障害を起こした患者』という設定で、冬のある日に入院させていただきました。
実はその前日、僕は夜中の3時過ぎまで、F師匠と漫画家のYさんと飲んだくれていまして、朝一の飛行機で長崎へ飛んだのですが、寝不足で病院に着き、自分のベッドに案内されるなりばったりと倒れ、なんと夕方まで寝てしまったのです。
目が覚めると、窓からは夕日が差し込んでおりまして、遠くでカラスの鳴き声なんぞも聞こえまして、僕は一瞬、自分がどこにいるのか分からなくなり...。
そうです...せっかくの貴重な体験を...僕は出だしからムダにしてしまいました...。

<貴重な時間を無駄にする。>

えー...、長くなりましたので、続きは明日にします。

本日、紹介しました西脇病院さんのホームページはこちらです。
https://www.nishiwaki.or.jp/
関心のある方はぜひ、覗いて見てください。
先生の執筆された『特集 精神科医療とメディアの距離 マスコミを受け入れるということ』も、ホームページ内NISIWAKI-NET「KENちゃん先生ノート』において、全文がUPされていますので、ぜひぜひ読んでみてくださいね。

佐藤秀峰 on Web

『漫画制作日記』2009/3/13 西脇病院2。

3月16日発売の『ムショ医』(佐藤智美 芳文社コミックス)第1巻の見本誌が届きました。
佐藤智美、初の単行本です。おめでとう!!(...って発売はまだですが。)
手前味噌で申し訳ありませんが、本当に面白いので、発売日にはぜひ皆さんも手に取ってみてください。女性作家で、これだけ空間が描ける人はなかなかいないのではないでしょうか?

さて、昨日に続きまして、長崎の精神科病院、西脇病院(院長 西脇健三郎先生)へ体験入院をさせていただいたお話をさせていただきます。
2泊3日の入院で、初日の夕方までを寝て過ごしてしまった僕ですが、夜は逆に眠れませんでした。夕食を他の患者さんと一緒にホールで摂った後は、依存症患者さんの会に出席しました。

<依存症患者さんの会。>

アルコールや薬物依存、過食や拒食の患者さんや元患者さん達が集まって、自分の体験談を全員の前で順番に発表していきます。お酒を飲みたくて、家族に様々な嘘をつき、天井裏にお酒を隠したり、奥さんがお風呂に入っているスキに、お酒の自動販売機走ったりという体験を語る男性のはお話などは、聞いていて本当に心が痛みました。

会が終わると、再び閉鎖病棟に戻ります。
そう言えば、閉鎖病棟について詳しく説明していなかったですね。閉鎖病棟というのは、出入り口に鍵のかかった病棟です。病識のない患者さんや、急性期の患者さんなど、行動を制限しないと治療に支障がある患者さんが入院しています。僕の部屋は4人部屋で、他の3人の患者さんは統合失調症の方でした。

<出入りには許可が必要。>

夜が更けて、消灯時間を過ぎるとほとんどの患者さんは寝てしまう訳ですが、僕は眠くならないので、ホールのイスに座りボーッとしていました。すると、一人の女性が近づいてきまして、僕の前でお経を唱え始めました。
小柄でかわいらしい女性です。お経が終わると、女性は僕に向かって『もしかして阿弥陀如来様ですか?』と言いました。僕は『あ...えーと...多分人違いだと思います。』と答えました。『あなたは優しいお顔をしているから阿弥陀如来様かと思った。』と女性は言い、しばし歓談となりました。

<人違いです。>

眠くならないのは昼寝してしまったせいもありますが、やっぱり、どこかでは緊張していたんですかね?その女性が行ってしまうと、なんだか僕はあくびが止まらなくなってしまいベッドに入りました。その女性には翌日からも、時々、病院内の過ごし方について教えてもらいました。

職員の方達は、僕を他の患者さんと同じように扱ってくださり、2日目、正体がばれた後に、『僕、変じゃなかったですか?』と訊いたら、『ちゃんと変だったので、分かりませんでしたよ。』とのお言葉をいただきました。
確か、朝の職員会議を見学させていただき、そこで僕が取材で入院していることを、職員の皆さんにお伝えしたんじゃなかったかと思います。そんなことがあった後、病院内を職員の方に隅々まで案内してもらい、写真を何百枚か撮りました。

<写真を撮りまくる。>

閉鎖病棟のさらに奥には、複数の隔離部屋がありまして、そこには急性期で自傷他害の恐れがある患者さんが、いわゆる鉄格子のある個室に入っています。

<保護室見取り図。>

先生は、『実際の患者さんと同じ体験をしてもらいましょう』とおっしゃると、ベッドに僕を頑丈なベルトで縛り付け去っていきました。
これじゃまるで放置プレイです!!(...いえ、実際には看護師さんが巡回して、常に安全を確認しているのですが。)
『ベルトで拘束するというのは、人権的に問題があるという意見もありますが、これは患者さんを守るためなんです。自分で自分を傷つけないように、ゆっくり休んでもらうことが目的です。』と先生はおっしゃっていましたが、僕はどちらかというとMではありますが、いや...Mと見せかけたSかな...という話じゃなくて、縛られるというのはあまり趣味ではありません。
出入り口に鍵をかけられた6畳ほどの広さの部屋に一人取り残され1時間。しかも、両手両足はベッドに縛り付けられている...不安で不安で...と思いきや...僕は......。
またしても寝てしまいました...。

<またも寝る。>

1時間後、先生に起こされた時は、『やっっっべ!!寝ちまった!!!』って感じです。
でもね、後で思いました。隔離部屋にいた1時間というのは、僕が入院して以来、初めて一人きりになれた時間だったんです。緊張が緩み、先生が言った通り、僕は確かにゆっくりと休めたのかもしれません。

3日目は、同じ部屋の方達とも少し打ち解けられ、これなら、1ヶ月くらいここにいてもいいかなぁ?と思うようになっていました。でも、やっぱり、外も恋しいよなぁ、などと揺れる乙女心です。
先生のお話によると、入院が長引くと、それだけ社会復帰が難しくなるそうで、僕は予定通りの3日間を過ごし、西脇病院を後にしました。
帰りに中華街で食べた長崎チャンポンは本当に美味しかったなぁ。

<スープが濃厚。>

『ブラックジャックによろしく』の精神科編はこのようなご協力があって、やっと漫画になりました。西脇先生、及び西脇病院の職員の皆さん、患者の皆さん、本当にお世話になりました。

<西脇先生。>

昨日も紹介させていただきましたが、西脇病院のホームページはこちらです。
https://www.nishiwaki.or.jp/
関心のある方はぜひ覗いて見てください。