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TSUNAMI、そしてPTSD

05

(火)

04月

エッセイ

 20数年前になる。私の依存症治療が地元で少しは認知され始めたころであった。そんなある日、60歳代半ばのきちっとした身なりの男性の方が外来に受診してこられた。彼は10歳の時に爆心地近くで被爆されている。そして、何時の頃からか、年に数回被爆の惨状が頭の中に映像のごとくよみがえり、その間は連続飲酒に陥り悩んでおられるとのことであった。

また、高校時代の同級生で、我ら男子生徒のマドンナ的存在であったWさんが、10年ほど前、横断歩道をわたっている時、車にはねられ全身打撲で約1ヵ月間意識不明となった。幸い、その後、身体的には何事もなかったように快復した。しかし、彼女はそれからしばらくして、自分自身が横断歩道を渡れないどころか、横断歩道を渡ろうとしている人を見かけるだけでハラハラ、ドキドキするようになった。そして、そんな囚われにかなり長い間、苦しめられた。

このお二人の状態は明らかにPTSDによるものである。


外傷後ストレス障害(PTSD)とは、ICD10(精神科および行動の障害:臨床記述と診断ガイドライン:中根允文ら監訳)によるよ「ほとんど誰でもが大きな苦悩を引き起こすような、例外的に著しく脅威を与えたり、破局的な性質をもった、ストレス性の出来事、あるいは状況...(すなわち、自然災害または人工災害、激しい事故、他人の変死の目撃、あるいは拷問、テロリズム、強姦あるいは他の犯罪の犠牲になること)、...」と定義付けられている。

つまり、診断の前提として、「死に直面する体験、または重症を負う(ような)事態に遭遇すること」が必要である。


2011年3月11日に発生した「東日本大震災」、災害としては一つの特徴的な現象がみられる。それは、日が経つごとに死者、行方不明者の数が増加するのに比べて、負傷者の数が極端に少ないことである。
これは大津波に襲われ、生と死の狭間があまりにもなさ過ぎたためである。つまり、多くの人は、わずか数歩の違いが、または、ほんの数秒の差が生と死を分けたに違いない。そのような状況で生を手にした方は、まさしく死に直面したわけである。

また、行方不明者の捜索は今も続けられている。捜索を担っている自衛隊、警察、消防隊の方々の心労は極限に達しているはずだ。そんな中で、発見された遺体は損傷が著しいと聞く。そんな多くの遺体の発見と収容作業は、それこそ「他人の変死の目撃」にあたる。


ここで、PTSDの症状についてふれてみたい。
まず、襲われた体験、目撃した事柄を思い出すまいとして感情が麻痺、萎縮し、希望や関心がなくなり、日常の営みから遠ざかる。つまり、無力感に支配され、日々の活動が低下する。そして、悪夢やフラッシュバック(先に紹介した被爆地の光景が脳裏によみがえる現象)、以前になかった睡眠障害、怒りの爆発や混乱、集中困難、過度の警戒心や驚愕反応(先に紹介した横断歩道に対する反応)。
これらの症状が1か月以上持続し、社会的な活動に支障をきたしたり、あるいは精神的活動に障害(うつ状態、パニック障害など)を起こしているのをPTSD(外傷後ストレス障害)と診断する、とされている。それも、症状が3か月未満であれば急性、3か月以上であれば慢性と位置付けている。多くの方は、そんなストレス因子になる災害、事故などのエピソードを受けてから6か月以内に発症するが、6か月以上遅れて発症する「遅延型」も存在する、とされている。

また、PTSDに陥った方はしばしばアルコール依存症や薬物依存症になる、と指摘されている。それは無意識のうちに「酔うこと」がPTSDの治療的な行為だと自らが選択した結果であると考えられている。しかし、嗜癖行動が高じて依存症になってしまったら、もちろん、それは治療の対象である。

ここで、あの大津波から、とにかく逃れ一命を取り留めた被災地の方、そして現在、行方不明者を懸命に捜索されている自衛隊員、警察官、消防隊員の諸君は、今後このPTSDにかなりの人が陥り、苦しみ、悩まされることが想定される。


そして、もう一つ診断に重大な要件として "記憶"が取り上げられており、それは3つに分類されている。
1)重大な「出来事」の記憶  2)それほど重大でなかったが事後的に記憶が再構成される  3)もともとなかった「出来事」が、あたかもあったかのように出来事の記憶となる。

この3つの分類をからPTSDの適用を考えると些か悩ましいことになる。

1)は、一命を取り留めた方々、そして、今、懸命に捜索にあたっている自衛隊隊員らが対象となり、PTSDとして容易に理解できる。ここで、2)、3)である。2011年3月11日の災害発生以来、連日、それも、その後10日間あまりは24時間、全てのテレビ局が災害現場のレポートに加えて、この地震と津波で損傷し、放射能漏れをおこしている福島原子力発電所に関する報道を流し続けた。一息入れるはずのコマーシャルも情緒的な内容のAC(公共広告機構)だ。「もういい」と観たくないのだが、何故か観てしまう。
だが、これらは目の前の「出来事」ではない。ましてや視聴者が死に直面する体験、または重症を負う(ような)事態に遭遇しているわけでもない。映像を通して得られた「出来事」である。2)か、3)か、といっていい。これもPTSDととらえていいものやら...。

しかし、そんな連日のテレビ報道が誘因であるとしか思えない「眠れない...」、「気が重い...」、「何か不安でイライラする...」と訴え、治療を求めてこられた方がすでに数名おられる。また、従来から治療を行ってきた精神科疾患の患者さん、とくに気分障害圏(うつ病など)の方が不安定になっている。

以前、被爆対策の一環として、これと同様なことを長崎市でPTSDとして認められている。
2001年、長崎市で1945年8月9日の原子爆弾の投下の後、被爆地域外であるとされていた地区の方々にもPTSDが生じているとの報告書が作成された。それは爆心地から十キロ余り離れた地域で、原爆の閃光、あるいはきのこ雲を見た結果、PTSDを発症した、というものである。そんな方は被爆体験者として、医療を受けるにあたって特例が与えられた。私は被爆2世の精神科医として、これに異を唱えている。その詳細については、このホームページのこれまた、この「Ken's Lounge」2010年1月4日のブログ、あるいは「依存症治療の現場から!!(みずほ出版新社)」 P120~P123に掲載の〝被爆2世の精神科医″をご一読読いただきたい。


こうしてみると、PTSDの診断については、まだまだ議論の積み重ねが必要だ。それに何より、今の現状では、これからPTSDを持ち、不眠、無気力、抑うつ状態(集中力困難・内的不穏・自己不全感)などの症状で苦しまれる方々への適切な治療行為、さらにはそのような状態からの癒しの術として選択した嗜癖行動の結果、様々な依存症を発症された方々に対する対処、治療対策をどうにかしなければならない。
幸い、私はこの30数年、依存症治療に携わってきた。そして、10年前にストレスケア病棟を設け、うつ病、ストレス関連疾患、色んな依存症は根っこが一緒といった考えの下、同一病棟空間で治療にあたっている。おかげで、そんな病棟環境の中で、十全とはいえないものの、スタッフのスキルアップを行ってきた。また、治療プログラムもピアサポート(当事者間の支え)を意識した内容を軸に充実を図っている。
そんなことで、遠方ではあるが、今回の震災の影響でPTSDに陥り、心病まれた方々を一人でも受け入れできればと、病院のホームページ、およびTWITTERで、受け入れ可能病床の情報を毎日更新して、公開している。しかし、このようなアクションを起こしている精神科医療機関は、全国的にみてもほとんど皆無であろう。

政府、そしてメディアは、これ災害をばねに『新たな日本』の再生を、と呼びかけている。
精神科医療もこれまで、このようなうつ病、ストレス関連疾患、依存症治療に関しては、一次予防活動止まりであった感が否めない。一つ、これを機にこれまでマイナーとされてきたうつ病、ストレス関連疾患、依存症治療に一歩踏み込んで本腰を入れて取り組んで欲しいものである。