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エッセイ

S君は中学校時代同級生だった。彼は悪で、不良少年であったが、私の中学時代のアルバムには彼と一緒の写真が一番多い。何故か分からないが、どこか気が合っていたのだろう。彼は私と別の高校に進学したが、中途で退学して上京した。その後連絡は途絶えていた。

それから30数年経った10年ほど前、うちの病院の新改築で関わりを求めてきた建築業者の方から、彼の消息を知った。その時の私の反応は"彼は事件にでも巻き込まれて死んでいたかと思っていたが、生きていたんだ"といったものだった。それほど悪だったのである。

建築業者の方の情報をもとに、私は上京の機会を利用して、彼に会うため彼が経営する東京赤坂の飲食店に出かけた。その夜は久しぶりの再会ということもあって、彼も仕事はそっちのけで夕刻7時から深夜3時まで語り込んだ。
それから、上京の折には必ずといっていいほど彼の店に顔を出すようになった。

あれは何度目だったろうか。彼の店に入ると、カウンターでピーナツを盛んに食べながら水割りをチビリチビリと飲んでいる男性の後姿が目に止まった。うずくまってピーナツを口に入れるあの後姿、そこで私の頭の中に高校時代のグランドの光景が蘇ってきた。

思わず「おい、Gか?」と声をかけてみた。やはりG君であった。彼とは中学、高校時代の同級生である。彼もS君同様悪であったが、読書を好み、自宅に帰るとクラシック音楽鑑賞に親しむといった不良息子であった。

彼とは高校時代一緒にラグビー部に所属していた。彼は運動能力も高くすぐにレギュラーのポジションを手にしたが、私はなかなかレギュラーにはなれず控え選手だった。
だが、彼は不良息子であったがため、ごたぶんにもれずタバコを吸っていた。
それが監督の知るところになり、タバコを選ぶかラグビーを選ぶか迫られた。彼はタバコを選び退部していった。その結果、私にレギュラーのポジションが廻ってきたのである。

それから数ヶ月後、わが母校は進学校ながら県大会に初優勝し、私はその優勝チーム15名のレギュラーメンバーの一人として名を連ねることができた。
そして、その優勝体験は後輩たちに受け継がれ、その後10年あまり全国大会出場の常連校としてわが母校は地元で話題をさらってきた。

一方G君はというと、ラグビー部を退部したものの不思議と退学になることはなく高校を卒業し、音楽への強い関心を持ちながら、上京、東京の大学へ進んだ。彼についてもS君同様、高校卒業後交流は途絶えていた。

ちょうどS君、G君と再会したその直後から、私は東京での公の仕事を仰せつかり、上京の機会が増えた。加えてS君も六本木にエスニックレストランを出店、三人での食事などの機会も多くなり、30数年の二人との空白の時が一気に埋まっていった。

G君は大学卒業後、広告業界に身を置き、私が父の後をついで病院運営に携わった1980年代初頭、同じ時期に仕事仲間と現在の会社を設立している。

そして彼は、会社設立以前の1960年代後半から今日に至るまで、我々にとっては懐かしい、あるいは、なじみ深くなっている数々のテレビCMを手がけてきたCMプロデューサであることも分かった。
彼と再会当時、我ら団塊の世代には懐かしい歌で、某大手飲料メーカーの缶コーヒーのCMが大ブレーク中であったが、それも彼の作品である。

ミーハーな私は、彼と会うたびに制作現場のこと、撮影などにまつわる裏話を尋ねるが、彼は多くを語ることはなかった。
だが、この数年WEBサイトの制作に関心があることを熱く語りだし、幾つか彼の作品を紹介してくれた。う~ん、さすがなかなかしっかりした内容であった。

うちのホームページもリニューアルの時期であったことも手伝って、思い切って我が精神科病院のWEBサイトの制作を彼に提案してみた。
彼も病院のWEBサイトを手がけるのは初めてであった。だが、30数年の空白を埋めるには十分の付き合いをこの10年近くやってきた。高校時代同様に、私がパスしたボールを彼はがっちり受け取ってくれた。

そうなると話が早い。これまで彼が彼の業界で培ってきた素晴らしいお仲間も我が病院のWEBサイト制作に加わっていただくことになった。

また、制作にはこれまで大手企業のCM作りに取り組んできた彼の会社の若い優秀なスタッフが、時には我が病院に一週間あまり張り付いて取材、撮影にあたってくれた。こうして完成(いや、更新もあるので進行形であるが・・・)したのがこのWEBサイトである。

話は前後するが、現在、G君はタバコを止めて久しいとのことである。もし、彼が高校生のあの時、ラグビーの監督の忠告に従いタバコを止め、部活動に専念していたら、私はレギュラーになれず、レギュラーメンバーとして優勝体験を味わうことはなかったに違いない。

私にとって青春時代のあの体験は、その後の私の精神生活にかなりの影響を与えていると思っている。あの優勝体験がなかったら、今の私は違う価値観を持ち、もの見方、考え方も異なっていたはずである。

G君にもそんな話をしたら、彼もポツリと、「あの時ラグビー続けていたら、上京してなかったかもしれないなぁ!」とつぶやいていた。
そうなっていたら多分、今回のこの新たなWEBサイトの立ち上げは実現していなかっただろう。

いやその前に、弱虫の私と悪のS君との中学校時代の奇妙な仲間意識と約10年前の再会がなかったらと、考えてしまう。きっと運命のイタズラだね、今度のことは・・・。

そのS君、数年前に大病を患い、大手術の結果無事に生還した。今はエスニックレストランの経営ということもあって、しばしば海外にも出かけるほどに健康を取り戻している。
喜ばしいことであるが、これからは一つ、入院体験などを通して医療機関を利用した立場から、このサイトに対する感想、意見を聞かせてもらえることを期待したい。

こうして立ち上げた地方の一単科精神科病院のWEBサイト、新たな試みである。
この試みが、多少なりとも精神科病院と心病める人たちの地域社会における理解
に繋がれば幸いかと願っている。

#1:証拠写真・私は練習着、G君はレギュラーのユニフォームで写る集合写真
#2:不良少年と不良息子の違い・これはあくまでも私の主観的な見解である。確かに私にとって、S君は不良少年で、G君は不良息子であった。