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"撲滅"と"絶滅"ついて

03

(水)

06月

エッセイ

4月下旬にメキシコで発生した新型インフルエンザ(豚インフルエンザ)は、世界各国に感染者が拡大しているが、猛威をふるいパンデミック(世界的大流行)に至っているわけでもない。むしろ毎年発生する季節性インフルエンザからすると感染者数、死者は極めて少ないといっていいだろう。ただ、日本国内では、幾つかのイベントの中止、修学旅行などの人の移動が滞ったりしたおかげで、日常生活、経済活動に何らかの支障をきたしている。このように人類に有害とみなされる生命体については撲滅を願い、その研究、対策には多くのエネルギーが結集される。
一方で我々人類は、地球上に生息する生命体でその生存数が著しく減少している種に対しては、絶滅危惧種として、その生命体の絶滅を防ぐための対策にこれまた多くのエネルギーを費やしている。絶滅に瀕している生命体の多くは、人類が撲滅を望んでいるのとは逆に、人類にとって基本的には無害で、なかには人類が衣と食、それに装飾品として利用すべく好んで捕獲してきたものである。実は人類の嗜好により、多くの生命体が絶滅してきた過去がある。
古くは、4~5万年まえにオーストラリア大陸に渡った先住民族のアボリジニが、当時オーストラリア大陸のみに生息していた多くの生命体を狩猟の対象とし、それを食料にして絶滅させたといわれている。また、大航海時代には、マダガスカルに生息していた象鳥(エピオルニス)があまりにも美味しかったがために島に訪れたヨーロッパ人から捕獲され食べ尽くされたのは、有名な話である。加えて、とくにこの200年の間に人類が地球のあらゆる地域に進出、展開し、その多くの土地を人類の都合のいい様に開発、人類の都合に合わせて加工して、その結果、多くの生命体が絶滅、あるいはその危機に瀕している。
広辞苑によると、撲滅とは「うちほろぼす」こと、絶滅とは「ほろびたえる」こと、とある。"ほろび"といった点では共通している。では、その"ほろび"を(撲滅)望むのか、それとも(絶滅)望まざるかは、自然の摂理ではなく、我ら人類の判断に委ねられているのである。
ところが最近、この撲滅を図ること、絶滅を防ぐことで不都合も生じている様である。長年お付き合い(共生)してきた寄生虫を撲滅とまでもはいってないが、激減させたことで、アトピーとか花粉症が激増しているといわれている。また、少なくとも国内では、野生動物の保護が異常繁殖を招き農作物を荒らすといったこともおきている様である。これには、そんな野生動物を餌にしていたオオカミの撲滅(絶滅?)も影響しているようであるが...?
そう我々人類は、地球上の他の生命体を"撲滅"させるとか、"絶滅"から守ると豪語しながら、さらに「地球が危ない」「地球が壊れる」、果ては「愛は地球を救う」などとおっしゃっておられる。そんなに地球は危機に瀕しているのだろうか?
地球と現在の我ら人類の関係を人体と病の関係に例えると、さしずめ人類は地球の寿命を脅かすほどの存在ではない。ただ多少厄介な存在ではあるだろうが、せいぜい体の表面に発生する水虫などの良性の皮膚病といったところだろう。少々我々人類が、地球上でいたらぬことをしても、これまでと変わりなく地球は24時間で一回転し、365日で太陽を一回りしている。そして、地球を取り巻く大気も、他の太陽系惑星の様な我々に不都合な大気の状態に向かっているわけでもない。どこが危ないのか、どう壊れていくのかさっぱり分からない。
ただ近い将来、後で述べるが、人類という生命体が地球上で生存できなくなる可能性は大いにありである。それと「地球が危ない」「地球が壊れる」、果ては「愛は地球を救う」は関係ないことだ。環境保護を盛んに唱えられる方は、地球が危ない、壊れるはどうでもいから、我ら人類が如何にこの地球上で生存できるかをもっと考えていただきたい。
そこで今、我ら人類が地球上で生存し続けるために一番に取り組まねばならない最大の課題は、産業革命以後の人類という生命体が急激に異常繁殖を続けていることをどの様に歯止めをかけるかである。地球上で我々人間サイズの生命体が生息する適正規模は200万程度の数だといわれている。そこまで減ってしまったら、現在、我々が享受している「安全・快適・便利」な生活は放棄し、現状からすると危うい生活を強いられることになる。しかしそうなると、Ecoなるものに熱心な方々の思い通りの地球環境が取り戻せる。そして、他の生命体を撲滅するとか、あるいは絶滅から守る、といった大それたことを考え、行う必要、いや余裕すらなくなる。となると、エコロジスト(Ecologist)ではなく、自分のことしか考えないエゴイスト(Egoist)のほうがよほどましなのかな。
ただその変わり、それこそ、そこで初めて、地球上の全ての生命体と共存することを願い、それを讃美して作詞された「♪僕らはみんな生きている♪~生きているから~~♪~~みみずだって おけらだって あめんぼだって みんなみんな生きているから♪友達なんだ~♪」を堂々と声高に唄うことができるのである。
でも、私を含めて、とくに先進国社会で生活を営む人間にはその様な生き方をする覚悟を持てそうにない。では、人類という生命体がこの地球上でこれからも、そこそこ生存していくためには、CO2の削減でも、諍いのない社会を実現することでもない。まず、我々一人一人の心が所有する欲望なるものを如何に制御するかにかかっているのではなかろうか。

西脇診療所前の眼鏡橋周辺はアジサイが満開。
長崎も梅雨入りかなぁ、地球も日本の四季もそんなに変わりはしない。