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エッセイ

この「着眼大局、着手小局」は、太平洋戦争開戦時参謀本部に所属、終戦後はシベリヤに抑留され、帰国した後に伊藤忠商事の会長に就いた瀬島龍三の座右の銘であったと聞いている。山崎豊子の「不毛地帯」は戦中・戦後の生き方をモデルとし、「沈まぬ太陽」「二つの祖国」にも一部登場している。私は、彼と今また注目されている白洲次郎が日本の戦後昭和の復興の方向性を示し、その後の日本再建の道筋を立てたとみている。

まぁ~兎に角、私はこの言葉が好きである。常に日々の生活の中で心がけている。日常の些事を、出来ることであれば、手掛け、処理していきながら、地域社会、世界の将来を見据えることは大切なことではないだろうか。
一人の医療人として私の前に今いる病める人を診療することは、小局であるかもしれない。でも、その積み重ねが今日の精神科医としての私を作ってくれたし、多少なりとも病める心が癒された方がおられたら幸いなことである。
では、大局はというと、医療という視点からいわせてもらうと、世界的には飢餓、肥満といった両極の問題、そして、精神科医療の立場では世界のグローバル化、価値観の多様化の影響で発症の増加が懸念されるストレス関連疾患への対応の行く末が気がかりである。せめて今後の精神科医療の中における大きな課題となるはずのそんなストレス関連疾患(うつ病、アディクション{アルコール・薬物依存、そして強迫的ギャンブル等}、それに伴う自殺の問題)対策のために何か種まきでもできないものかと思う今日この頃である。

一方で、この8月下旬には嫌いな言葉を耳にする。某テレビ局の"24時間、愛は地球を救う"である。このキャンペーンが始まってもうどのくらいになるだろう。最近は、"愛は地球を救う"はさすがにおこがましいと思ったのだろう、トーンダウンしているようである。
しかし、ECOといいつつ、24時間もテレビをつけっぱなし、電力消費が上がるのは如何なものだろうか。さらに、"地球を救う"に乗じて、"地球が危ない""地球が壊れる"なんてことも平気でいわれるようになっている。地球は何十億年も前から24時間で自転し、太陽の周りをほぼ365日で一周している。正確そのものである。故障しているようには思えない。危なくも、壊れるなんて心配なさる必要もないし、どこを救えというのだろうか。天文学者の研究では5億年後には太陽が膨張して地球は消滅するらしいが、それは致し方ない。
地球に悩む能力があるとしたら、そうだなぁ~以前にも述べたが、人類という生命体(種)は本来、地球上に200万程度が適正規模な種なのだが、2000年程前に2億から3億に...そして、それが18世紀頃まではそのままで推移していた。この規模でも地球上の生態系には何らかの影響を及ぼしていたようなのだが、それが人類の産業革命と近代医学の進歩とやらで、今や65億、そしてもう暫くすると100億に達するようである。
さすがにこれは、地球にとっては、壊れたり、危なくはないのだが、些か厄介な存在である。人体に喩えると、死には決して至らない良性の皮膚疾患、そうだね水虫に悩まされている、といったところだろう。
この些か地球を悩ましている人類の異常繁殖、人口爆発では、繰り返すが地球そのものが壊れたり、危機に瀕するものではない。ただ、人類がこの地球上から淘汰されかねないのである。その事態を招いた最大の功労者?は、実は我々医療従事者ではないか。

もう一度この観点で「着眼大局、着手小局」に戻ろう。
医療の道を選んだ以上は、人の生死に関わらねばならない。そして、目の前の病める方のために全力で治療にあたる、手を尽くすのはもちろんのことである。つまり"着手小局"である。
では"着眼大局"はどうしたものだろうか。今はいい知恵が浮かばない。仕方がない。地球に些か不愉快な思いをかけていることを念頭において謙虚な気持ちで職務に励むほかなさそうである。
ただ、日本の少子化、これは世界の人口抑制のモデルになるはずだが、今のお国の政策は、それとは逆の方針のようである...。