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  4. 人は皆身の安否を問うことを知れども、心の安否を問うことを知らず

エッセイ

今回のタイトルは、江戸時代の碩学者、佐藤一斎の名語録の一つである。
現在、身体の不調を訴えて病院を訪れる患者さんの三分の一が感染などに侵され、あるいは、加齢などの肉体的衰えから明らかに身体の病を発症している、そして三分の一は何らかの心の問題が起因で身体の病(例えばストレス性胃潰瘍など)に罹っている、残りの三分の一は心の悩み・苦しさを痛み、息苦しさ、動悸といった様々な身体症状で表現している、と言われている。
この最後の三分の一の方々は、医療機関を訪れ、しっかりとした診察を受け、色んな検査を行った結果、身体的には異常を認めないと説明を受ける。だが、なかなか納得していただけない。そこで、お医者さんは「自律神経失調症」なる病名を付け、差し障りのない精神安定剤を処方することが多い。それでも体調がすぐれないと訴える患者さんには、精神科の受診を提案するが、精神科に対する偏見ということから、その提案を行うには、身体の病を診られておられるお医者さん方は、かなり気を使われているようである。

そこで、ここ20年あまり前から登場したのが「心療内科」である。これは、お医者さん方のそういった気使いを軽減したかのようである。だが、「心療内科」は、本来、先程2つ目にあげた三分の一、〝心の問題が起因の身体の病(例えばストレス性胃潰瘍など)"を専門に診る診療科である。だから、胃潰瘍を診断するための胃カメラが操作できなければならない。また、ストレス関連のアレルギー疾患に対するステロイド剤を上手く処方できる必要がある。しかし、「心療内科」を第一に標榜されているクリニック、診療所のお医者さんのほとんどは、精神科医である。中には胃カメラも操作され、ステロイド剤も適切に処方される方もおられるだろう。だが、多くの「心療内科」を標榜される方は、精神科医として精神科疾患(主に統合失調症)を診られ、その治療にエネルギーを注いでこられた方々である。
法的には医師の資格があれば、診療科科目の標榜は自由である。「心療内科」を標榜される精神科の先生方は『「精神科」ではイメージが良くない。もっと多くの心病める方々が気軽に受診できるようにと「心療内科」を第一標榜にしました』とおっしゃる。確かに、「心療内科」を標榜の精神科医のクリニック・診療所には、敷居が低くなったというか、最後の三分の一の患者さん方が紹介しやすくなったのは、間違いないようである。また、メディア、TVドラマ、劇画でも取り上げられるようになり、ある意味、市民権を得た、といっていい。
だが、本来の「心療内科」の診療対象は、心療内科・精神科双方が治療可能な軽症なうつ病の患者さん程度であるが、実際、受診してくる多くの患者さんは、精神科がこれまで診療・治療に携わってきた統合失調症、重度のうつ病だけでなく、アルコール依存症などの他の厄介な精神科疾患を合併し、かつ、抑うつ気分・不安・不眠を訴える患者さんたちである。

では、精神科疾患・精神障害者への偏見はどうだろうか。
ある日、私の病院(精神科病院)に心療内科を標榜されるクリニックを開業される精神科医から、入院が必要と一人の患者さんが紹介されてきた。彼はうちに来るなり、「自分は心療内科の患者である。精神科に入院するつもりはない。」と入院を拒まれ、その説明と説得に大いに苦労したことがある。
「心療内科」を標榜したクリニック・診療所は、多くの患者さんが気軽に受診出来るようになって経営的にはゆとりが生まれたようである。しかし、国民一般の、精神障害者、精神科疾患に対する意識を変えるには、さして貢献しているとは言いがたい。
加えて、近年の「心療内科」の開業は、ビル診療所・クリニックがほとんどである。つまり、夜間は無人となる。心の問題から生じる不眠、不安、抑うつは、その多くが夜間に襲ってくるものである。その対応策として、「心療内科」の先生方の多くは、自宅への電話転送で相談に応じておられるようだが、時に私どもの病院の夜間勤務者にそんな患者さんから電話をいただくことがある。しかし、これまでの病状経過が分からず、上手く対応できない場合がほとんどである。
また、これは診療所、クリニックに限ったことでなく、私ども精神科病院の患者さんでも生じることだが、そんな不安、抑うつ、孤独感が高じてリスト・カット(手首をカッターナイフなどで切ること)、大量服薬といった行為に及び、一般救急病院での処置・処遇をお願いすることも少なくない。
精神科医が「心療内科」を標榜したおかげで、現在の社会では、心の安否を問う方々がずい分多くなられたようである。しかし、その手当、処方箋は十全ではなさそうだ。

厚生労働省も精神科救急医療体制の整備をすすめている。従来からの幻覚、妄想状態、夜間せん妄といった、「医療と保護」を緊急に必要とする「ハードな精神科救急」の対策もだが、同時に、今回紹介したような自ら心の安否を問われる方々、いわゆる「ソフトな精神科救急」の対処法も十分検討する必要がある、といっていい。
そんな問題をマスコミ・サイドからも日本経済新聞(平成21年11月1日)がほぼ一面を割いて取り上げてくれている。
次回は、そんな「自ら問う心の安否のための精神科医療と精神科救急」について触れてみようと思う。