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エッセイ

 ギリシア時代にアリストテレスは、勉強のできる人は「理論知」を持つのに対比して、物事の選択を上手く行い、かつ、それを現実化し、善い人生を送ることができる人は「実践知」(phronesis)を持つとした。
そして、「暗黙知」(Tacit knowing)とは、言語化、数量化できる『知』である「形式知」にこれまた対比した、言語化、数量化できない『知』のことだそうだ。

その道の専門家から言わせると、かなり違うのだろうが、私の世界の中では、この「実践知」と「暗黙知」とをほぼ同じ意味だと理解している。そして、これらを経験の蓄積の中から編み出された『勘』、『以心伝心』、『あ・う・ん』『臨機応変』『気心が知れる』といった独特の日本語と勝手に同一視している。


何故、こんなことを書いているかというと、平成23年3月8日付のお手紙を山梨県の精神科病院の看護師の方からいただいたからである。お手紙の内容は、私の著書「依存症治療の現場から!!」で紹介している〝アルコール依存症って?そして治療の進め方(私流)″を読まれ、私の治療の、とくに集団療法の進め方をもっと具体的にと、尋ねてこられたものであった。

では何故、ここで「実践知」と「暗黙知」かである。
この200年間の医学の進歩は目覚ましいものがあった。そのため、地球上の人口は1~2億人から65億人へ、そして2050年は100億人に達しようとしている。この成果?の全ては感染症医学の発展によるものだ、といっていいだろう。その治療法はほとんどが普遍化され、国際標準、国際基準が定められ、その下で治療と予防が行われ、多くの生命が救われている。加えて、成熟し、高齢化社会を迎えた先進国においては、生活習慣病に起因した糖尿病、脳梗塞、心筋梗塞などと各臓器の癌治療においても、救急、急性期、そしてリハビリテーション期と一つの治療の流れとなり、システム化(クリニカルパス化)されるようになった。
つまり、「理論知」、「形式知」によって、言語化、数量化することで、その病、ないしは患者さんの経過、状態を、関わる医療従事者らが共有することで、チーム医療行為が容易になり、病の回復に貢献できるようになった。

では、依存症治療はどうだろう。急性期の禁断症状への対応・身体管理は状態、病状に応じた対応、処置、治療等、マニュアル化は可能である。だが、リハビリテーション期における今後の長い回復の道程に向けての動機づけは、体験談に始まり、体験談に終わる集団療法へ繰り返し参加することでなされ、それは、他の医療からは取り残された伝統的な治療法である、といってもいいかもしれない。私は長年、週一回、その伝統的な手法の集団療法を続けてきた。その中での「気づき」というか、「つかみどころ」を〝アルコール依存症って?そして治療の進め方(私流)″で少し表現してみたつもりだが、山梨県の精神科病院の看護師さんから、もっと詳しく具体的にとのリクエストのお手紙をいただいた。ただ、山梨県の看護師さんと私の集団療法のすすめ方の違いは、彼は毎回「テーマ」を設けていることである。

テーマを設けること、それはルールが一つあることだ。それはテーマに沿った理論的思考が要求され、テーマという課題(形式)の中で治療をすすめる、という利点、あるいは欠点がある。一方、私の集団療法にはテーマを設けてない。ただ実践あるのみだ。それこそ何が起きるか分からない、暗黙である。
確かにテーマを設けると、進行は楽である。しかし、テーマから外れた体験談が語られ、それがその日のメンバーに有効と思われる話題が提供された時、それがテーマでないからと排除するのはもったいない。
私はテーマを設けてない。先のことなど「ケセラセラ」で進行している。だから、そんな有効な話題が提供された時は、しめしめだ。それをテーマに進行する。


話は変わるが、安全・快適・便利を維持するためには、「理論知」、「形式知」が不可欠である。つまり、現代社会は、正確な情報、諸々の法、様々な制度によって、安全・快適・便利さが維持、管理されている。それ全て「理論知」、「形式知」で成り立っている。
しかし、今度の東日本大震災では、この「理論知」、「形式知」で構築されてきた情報、法、制度が、ものの見事に機能不全に陥った。そして、福島原子力発電所の事故に至っては、「理論知」、「形式知」で決められた安全基準に私たち国民は戸惑い、振り回されている。私は、原発報道を聞くたびに、1950年代~1960年代にかけて、太平洋上で米・英・仏が水素爆弾の実験を行っていた時はどうだったのか、その時と比較した結果を知りたかった。今朝(2011年4月4日)の報道番組に、やっと放射能汚染に関する識者が出演し、1950年代からの日本上空の放射能濃度を経年的に示すパネルで解説を加えてくれた。何と太平洋上で水爆の実験が繰り返されている時は、現在の1万倍の放射能に日本上空が汚染されていた、というデーターが示され、そしてその後、あのチェルノブイリの事故の時にも一過性に上昇していた。
それからすると、今回の福島原発事故後とその前の大気の状態の差は微々たるものである。このデーターをもっと早く示してくれていたら、福島の農作物の風評被害は幾らかでも軽くて済んでいた、と悔やまれる。

今、国やその関係機関、そして東京電力が示す数値(形式知)より私の脳裏に薄らと残っていた〝死の灰"の記憶(暗黙知)が勝っていたのだろうか?

住民の避難もそうだ。日頃から避難の訓練(実践)を繰り返し、定められた避難所(形式)では危険だと、暗黙のうち(一瞬)に判断し、もっと高台に逃れ助かった住民の方々も多かったと聞いている。

現代社会では、「理論知」、「形式知」が私たちの生活を維持し、守ってくれていることを否定するわけではない。しかし、それで構築された仕組みが機能しなくなった時、どうすべきかを考えておく必要があることを今度の震災は教授してくれたように思う。

それを喩(たと)えにするのもどうかと思うが、山梨県の私にお手紙を下さった看護師さんもテーマを設けないで、手探りで集団療法を繰り返し行ってみたらどうだろう。そしてその後に、もう一度私の著書の中にある〝アルコール依存症って?そして治療の進め方(私流)″を読み返してみられたら如何だろうか。