理不尽

29

(木)

12月

エッセイ

理不尽とは、正しくないことを押しきる行為、あるいは謂れのない非難がなされることを言う。

今、中国から、車に轢かれた2歳の女児の前を18人が素通りする「悦悦ちゃん事件」の痛ましい映像が発信され、全世界が驚いている。これは2006年から起きている次のような問題が背景にあるとされている。それは、転んだ老人を助け起こそうとした若者が 逆に「突き倒した加害者」と訴えられ、裁判で賠償金を支払うような判決が相次いだためだ、と。
つまり、「人助けをすると逆に災いに巻き込まれる」という風潮が中国国内に蔓延し、国民が人との必要以上の接触を嫌うようになってしまっているそうだ。それは理不尽な出来事である。
そこで、中国は条例づくりに着手すると発表した。その条例とは、親切心で近づいた人を守るための法律になるらしい。何かおかしい??モラルまで法で守らなければいけないのですかね。

だが待てよ! 長崎でも同じような理不尽なことが行われている。しかも、その問題は行政主導で行われているから、始末に負えない。
そう、匿名のメールが虚偽の内容、嫌がらせであっても、それを何ら検証することなく、それのみで法を行使し、その理不尽さに異を唱えても受け付けない、いやそれどころか、行政から要請され実名で意見を述べて事柄(理に適ったこと)は、全く無視されている。
この理不尽な行為に対して、幾度となく行政に問いかけをしても、何らまともな返事はいただいていない。まだ、中国のモラルを守る法作りの方がましである。先に述べたようにおかしくはあるが、少なくとも中国では正直者が損をしないように、とのことで法整備はすすめられている。
長崎はどうだろうか?この件に関する私のブログ(エッセイ)もずい分の数になる。もちろん、長崎県知事にもそのブログの内容はほとんどプリントアウトして手紙としてお送りしている。
そんなこんなで、各方面からも色々とご意見をいただいている。そんなご意見に対して参考になるのではと思われる記事を発見した。さわりの部分を紹介しておこう。

作家浅田次郎は自著『君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい』(エッセイ集:文藝春秋)について、2011年暮れに発売された『週刊現代』のインタビュー記事の中で自ら次のように語っている。
【そもそも小説とエッセイは本質的に違います。小説は基本がフィクション、嘘の世界。一方、エッセイは『徒然草』で吉田兼好が書いてるように、「心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく書きつく」るもの。つまり小説は嘘つきが書いて、エッセイは正直者が書くものだ(笑)。】

これは、小説家である浅田氏ご自身がエッセイ集を出版したことに対する遠慮から述べておられるに違いない。だが、私は敢えてこの記事を引用させていただいた。ここで、私の生き方そのものが正直者である、と言うつもりもないし、その自信など更々ない。
ただ、私がブログで書き続けているエッセイ擬きは、「心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく書きつく」つもりである。よって、これまでもこれからもこのブログ上では、正直者を貫き通していきたい。とくに、世の理不尽な行いに対しては...。