説得より納得

04

(水)

01月

エッセイ

これまで精神科医療の世界では、統合失調症の病識欠如が大きな関心事であった。確かに幻覚・妄想の世界を信じ込み、そこで体験する内容を事実とした上で行動をとる。それは現実の世界とは全く別の世界である。もちろん、それでは現実の世界には馴染まない。そのため当事者自身も混乱するが、その当事者に関わる人たちも困惑し、現実の世界に戻そうと説得、思考の修正に躍起となる。しかし、当事者はその周囲の人たちのそんな試みを頑として受け入れず、拒絶、反発して、しばしば興奮、暴言、暴力に至る。つまり、幻覚・妄想に支配され、自らが病に侵されていると気付かない状態、これを病識の欠如と言う。
結果、治療にも強く抵抗する。そこで、当事者の日本国民として有する諸々の権利を停止しても、治療を優先させる法律が必要になる。それが「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(精神保健福祉法)」であり、そしてその治療優先の判断を行えるのが精神保健指定医である。そこで、その精神保健指定医の診察の結果、病識欠如と判断され本人の同意を得ることなく入院が可能な入院形態を「医療保護入院」「措置入院」という。いわゆる強制的入院のことである。
これまでの精神科医療、精神科病院はこの2つの入院形態で行う入院治療、処遇に多くのエネルギーを注いできた感がある。確かにそれは重要なことだ。

この病識欠如と関係があるのかないのか定かではないが、2011年7月これまでの4大疾病に精神科疾患が加わり5大疾病となった。何故か5番目なのに1番多い、323万人である。それも1998年ごろから急激に増加している。このことについては、ブログ;2011年9月27日「病気が増えたんじゃなくて、病気を増やしたのかな?」でふれている。
いわゆる、20世紀末以後の急増は、精神科医による心療内科を第1標榜とするクリニックの乱立で、精神科医にかかりやすくなった結果、気分障害圏とそれに重複する依存症、対人関係、情緒面で悩みを抱える人たちが精神科疾患にドッと組み入れられたためだと想定される。となると、先の精神保健福祉法を必要とする病識欠如を有する患者は、この増加にあまり関与してない、と言っていいだろう。

2011年12月26日の地元新聞に-うつ病患者の半数が1ヵ月で服薬中断、治療目標納得不十分-との記事が健康・医療欄に掲載されていた。この調査は岩田仲生・藤田保健衛生大学精神科教授らの調査によるものである。
そして、その中断の理由の多くが治療目標などについて納得が不十分のためと指摘しており、岩田教授は「うつ病患者に治療の目標や見通しをよく話し、納得してもらうことが必要だ」と提言しておられる。おっしゃる通りである。
ただ、患者の自己判断での中断理由は、"...改善した""飲み続けるのが心配...""なるべく服薬したくない"などである。そんな結果から推察するに、今の自己の病にためらいがある方が服薬中断されているようだ。とくにうつ病親和性の方は、概ね「几帳面・控え目・気配り」で仕事熱心である。だから、うつ病、即ち怠け者と思考し、早く治療、服薬を中断し、律儀に職場復帰を図ろうとする。これはうつ病という病に対する "否認"と言っていい。

"否認"、この用語は依存症治療の場でよく使用される。
以前から、私だけでなく多くの臨床現場の精神科医らが、うつ病者と依存症者の病前性格の類似性を指摘している。いや最近では、うつ病と依存症の重複障害が治療、回復の重要な課題である。
"否認"とは自己の病を受け入れたくない、認めたくないといった意味だ。つまり「わかっちゃいるけど...」である。よって、先の「病識欠如」とは全く異なる。そのため、この"否認"への治療操作は、強制(矯正)的な対応では如何ともしがたい。もちろん精神保健福祉法を適用の状態ではない。
この"否認"への対処法は、まさしく「説得より納得」である。しかし、これまで「精神保健福祉法」を行使、病識欠如の対応、対処に熱心だった精神科医療従事者にとって、"否認"への対処法である「説得より納得」について理解は乏しい。

2011年12月31日の新聞報道で-官民連携で自殺予防・特命チームの議論本格化-のなかで、「うつ病など精神科疾患への理解が不十分」とある。確かに幻聴に支配され、病識も欠如した統合失調症者が「死ね!」といった幻聴に従い自死に至る悲劇については、一般への理解は不十分だ。しかし、「...精神科疾患への理解が不十分」はこれまで機会あるごとに使用されてきた標語である。そして、うつ病、依存症者にとって、この「...理解が不十分」は"否認"を生み出す一因に過ぎない。彼らが、自らの病を否認し、治療を中断、自殺に駆り立てる要因はもっと数多々あるはずだ。だから自殺対策には、社会学、文化人類学、哲学、宗教学、経済学、法学といった様々な知見を結集し、加えて当事者と彼らに日常現場で関わっている専門家の知恵を上手く融合させる必要がある、と思うが如何なものだろうか?
まずは「説得より納得」に取り組んでいる現場がどこにあるかくらいはもっと探って欲しいものだ。

月刊誌「公衆衛生」(医学書院)3月号・特集-アルコール関連問題-に私の拙文が掲載予定である。そこで "否認"、「説得より納得」についてふれている。ご一読いただければ幸いだ。

PS:また、内閣府の自殺対策特命チームは、「著名人の自殺をメディアが取り上げると自殺者数が増える」とも指摘している。その通り。メディアが自殺について取り上げるのには慎重を要する。自殺対策キャンペーンのメディアを介しての広報も同様である。その件に関しては、私はすでに2009年12月に長崎県の安直な自殺対策に関するテレビ・コマーシャルが自殺を助長しかねないと、メディア報道に対して慎重を要する旨の寄稿文を地元新聞に掲載し、警鐘を発している。今更、政府が自殺対策特命チームまで立ち上げて発表することでもないと思うのだが...。