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  4. 多産多死から多子少死、そして少子多死へ

エッセイ

私が生まれた昭和22年ごろは、まだ多産多死の時代であった。医療的には感染症対策が最優先課題であり、時代背景は戦中、戦後の荒廃状態、そして焦土からの復興の模索をおこなっていた。その後、抗生物質、国民皆保険により感染症対策は功を奏し、多子少死の時代となった。多子とは私たち団塊の世代のことである。時代は高度経済成長に入り、日本人の生活を日々豊かなものにしていった。私たちの世代は、その先兵であった。一方で、同世代の若者が精神を病んで精神科病院へ保護、収容もされた。当時は今日ほど精神科治療がすすんではいなかった。加えて高度経済成長下の担い手は、先に述べたように潤沢にいた。むしろ、精神障害者を在宅で支えるより、社会の経済活動への参加が優先されていた、と言っていい。だから、少しの支援があれば在宅、街で暮らせる患者が長期の入院を強いられた。これを社会的入院という。いわゆる精神科病院の施設化だ。

経済的に成熟した日本が、少子高齢化時代に入ったと言われて久しい。しかし、次に来るのは確実に少子多死の時代である。私たち団塊の世代が、これから老いて、死を迎える。同様に昭和40年代から50年代の高度経済成長期に精神科病院に入院した彼らも病院の中で老い、やはり何れ死を迎えるのは間違いない。現実に全国の多くの精神科病院は空床が目立ち始めている。
そこで今日、そんな多くの精神科病院は、精神科救急医療、あるいは認知症治療を受け入れるか二者択一の選択を、ないしはその二つともを取り入れようとしている。前者は急性期医療である。また後者は新たな施設化といっていい。それは、私に言わせれば精神科病院の分極化だが、今一つの大切な選択肢を忘れていないだろうか。

多産多死から多子少死時代への時の流れのなかで、まず、感染症医療において貢献し、次いで現在は救命救急における急性期治療の重要性は周知のことである。また、認知症治療も患者本人への治療、介護もさることながら、今、経済活動に参画している家族にとっても介護の負担を考えると、精神科病院への入院処遇は救いである。
しかし、これまでは多子少死の時代であった。つまり、病んでいる人たちを支える人たちが多かったのだ。それは医療、介護スタッフのことのみを言っているのではない。多くの人々が経済活動にかかわり、病める人々を支える経済的な社会(社会保障制度)の仕組みが曲りなりにも機能していた、と言うことである。しかし、これからは少子化の時代だ。つまり少ない労働人口なんだから、病んだ人にも、経済活動に参加していただくための医療制度、これまた非常に重要になってくる。それはリハビリテーションである。精神科医療においても然り。
幸い統合失調症の薬物療法の進歩はめざましい。そのため、私の個人的な意見としては、精神科救急医療施設の無定形な拡充、拡大は如何なものかと思っている。その拡充、拡大の結果は、個々の施設が、精神科救急医療の施設要件を満たすために不必要な、無理な入院を行っていないか、と推察したくなる。そんなことより、経済活動から病のため撤退、離脱を余儀なくされた気分障害、アディクション(依存症)の患者の精神科リハビリテーション、復職支援がこれからの時代は大切である。もちろん、統合失調症者も適切な薬物療法などによって、街で暮らし賢い消費者となり、さらに福祉就労から一般就労への援助を併せて行うことも地域の経済活性化に寄与することになるはずだ。これらのことが、今後の精神科医療の最重要課題であると私は思っている。だが、精神科病院にかかわる方々の多くは、まだ、多子少死の時期の社会的入院が経済成長の下支えをした、という思いから脱皮出来ていないのではないか。
私の住む長崎県では、そんな精神科病院の集団と手を組んで、変化を望まない県保健行政当局、さらには精神医療の改革と患者の人権を唱えるだけの有識者と称される人物の姿が見え隠れする。
少子高齢化はまだいい。高齢者も経済活動にまだまだ参入してくれるだろう。しかし、その後に訪れる少子多死の時代は、その少子に労働力を頼るほかはない。つまり、障碍者、病める方々の社会参入といった視点で、今少し、これからの精神科医療、いや医療全般の在り方を考えておく必要がある。

因みに、長崎県の人口万対病床数:54.8床、入院患者数:49.7名と全国平均:30.1床、
27.1人を大幅に上回り全国2位である(平成20年6月現在)。そして、県下精神科病院の入院患者は、1年以上長期在院者が70.5%、10年以上が24.6%(4人に1人)である(平成22年6月現在)。これでは病院でなく、施設ではないか。これ全て多子少死時代の長崎県保健行政当局の指導の結果である。まずここから何とかしなければいけないのだが...。