JFK

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11月

エッセイ

1963年、私は高校2年生だった。当時のアメリカ合衆国は輝いていた。ハリウッド映画で観るアメリカの生活は、大きな冷蔵庫、そこを開けてこれまた大きな牛乳瓶を取り出して、そのままグイグイと飲む男の子、家の前のゆとりたっぷりの庭、家族で外出する時にはピカピカのキャデラック。トロイ・ドナヒューとアン・マーグレットの青春恋愛映画、そして、フランク・シナトラを始めに、ポール・アンカ、コニー・フランシスといった歌手の甘い歌声、とにかく素敵だった。

そんなアメリカ合衆国の若い大統領、ジョン・F・ケネディが1963年11月22日金曜日、現地時間12時30分 にテキサス州ダラスで暗殺された。
彼が暗殺される前年の演説の一部が、2013年11月24日の地元新聞のコラム【水や空】に紹介してあった。

「情報が事実かウソかを公開の場で国民に判断させるのを恐れている国家は、自分の国民を恐れているのである」と。
その後のコラムの内容は、現在、国会で自民党を中心に通そうとしている「特定秘密保護法案」に関することである。

私個人としては、国民の生命、財産を守るために必要な国家秘密は守られるべきである、と思っている。しかし、国民の知る権利として、どの時期に、どのような事を、どのような手続きを踏んで公開するかをもっと明確にすべきである。

私自身と私の病院は、2011年5月17日、たった一通の匿名のメールで、行政において何の手続き、協議もなく特別監査(抜き打ち監査)に踏み込まれた。その後、それを実行した長崎県、長崎市、もちろん、長崎知事、市長にも何度となく説明、釈明を求めた。当初、県福祉保健部医療政策課より知事名で釈明の手紙を一度だけいただいたが、内容は「コンプライアンス、コンプライアンス」とおっしゃる知事ご自身がコンプライアンスをご理解されていないことを証明するものであった。
よって、その後も問いかけを続けた。それは一冊の本としてまとめられるボリュームとなったので出版してみた。ところが、他県の読者から「信じられない」との反響が多く寄せられ、そこで私も長崎県の常識は、日本の非常識だと確信を持つことができた。

また、今年になって、ある団体からの依頼により、これは法的な手続きを踏んだ上で、今日の精神科疾患の疾病構造の変化を踏まえ、そして、私の40年あまりの精神科臨床経験を通して、精神科医としてある意見書を県に提出した。ところがこれもまた、その分野を題材にしたコミック本ですら表現しない陳腐な内容の反論書?が中村法道知事名で戻ってきた。
一度どころか二度に渡ってこの様な「知る権利」に対するまやかしを行政の長からされると、「特定秘密保護法案」に対して異を唱える方々の思いも分からなくもない。

幸い、2013年11月21日の長崎県議会で中村法道知事は、「残された課題を新たなエネルギーとして、知事選に再出馬することを決意した」と述べ、来年2月の知事選に再選を目指して立候補する考えを正式表明された。有力な対立候補もいない。2期目も任期はもちろん4年である。
「残された課題...」とはよく分からないが、自己の保身と取り巻き県職員への支え合いではなく、かばい合いの確立を課題にされては困る。せめて、一県民の「知る権利」には、きちんと説明責任を果たしていただきたい。

私も知事の今度の任期中に古希になる。何時お迎えが来るか分からない。その時までに、ことの真相を明らかにしてもらいたい。そして、あの世とやらで孫文を支援された長崎の偉人梅屋庄吉先生に今の長崎の現状を報告せねばなるまい。